ひょんなことから過去に読んだ小説の話になり、「ビブリア古書堂の事件手帖」を思い出し、同時に「そういえばこれって完結したのか?最後まで読んだっけ?」と気になり始めて読み直した。どこまで読んだかはっきりと覚えていなかったが、読み進めるうちに断片的な記憶と照らし合わせると6巻まで読んでたことがわかった。あと1冊だけ読んでなかったのね。
この小説の好きなところはヒロインの篠川栞子がめっちゃ好きというのもあるんですが、本そのものについての歴史や背景といったものを知ることで、本に対する興味の幅を広げることができると気づかせてくれること。本の発行において発行時期の時代背景を受けて再編されているものがあったり、同じ内容の本でも種類がありその中には稀覯本としてあつかわれるものがあったり、雑学とひとくくりにいわれると否定はできないが、本が好きな人をさらに本好きにさせる魅力がこの小説にはあると感じた。また、小説の中で扱われる著者や書籍についてのエピソードがつらつらと書かれているだけならただの資料本なのですが、これらの要素を交えつつ、本筋はミステリーになっており、次の展開が気になって読み進めてしまうような小説となっている。この辺のバランスの良さが、この小説の魅力なのかもしれない。
トリックなどがわかっている状態で読んでも楽しめるほど、どの巻の内容も好きなのですが、特に6巻の太宰治を題材にした話は特に印象深く、読み返す前から思い出せる記憶の多くは6巻の内容のものでした。昔からなじみのある有名な文豪というのもあるでしょうけれど、6巻で書かれる人情描写が強く記憶に残っていました。ここまでくると読書好きではなく読書狂と呼ばれてもおかしくない、そんな感情を抱いたことが思い出されます。好きの延長にたどり着く狂気というのは、誰にでも起こりうることでありながら、好きのベクトルが人によって異なるために理解されない、好きすぎるがゆえの孤独といったものを、この小説を通して考えさせられました。
小説の中で時折、登場人物が本の一節を暗唱する形で状況や思いを伝える場面が多くあります。テイルズオブシリーズが好きでよくなぞらえるといったこともしますが、こういうことができるほど、本を読み込み、反射的に結びつけて表現することができるという状態に、なんとなくではありますが憧れたりします。表現のしかたにバリエーションがでて彩られる感覚というのでしょうか、誰かに伝える手段として多くの言葉やフレーズで表現できる、あるいはこの言葉でしか表現できないといったような適切な言葉選びが都度できるようになりたいと常日頃思っていますが、こうやって文章として書き表される表現は常に似通ったものばかりになってしまうのが残念なところ。インプットばかりが多く、アウトプットで活かしきれていないなと実感します。
ビブリア古書堂の事件手帖について改めて情報を追ってみると、その後の世界観ですでに小説が2冊でていて、さらに 2022.03.25 には3冊目が出版されると書いてある。いいタイミングで見直したのかもしれないという幸運を思う気持ちと、まだ続いており今後の楽しみが増えたという期待の気持ちが溢れてきます。しかしながら、7巻の巻末にはアニメ映画の話がでていたのですが、公式サイトでは全く情報がありません。ドラマは地上波でやったものと、映画で別の主演で放送されたものがありましたが、あまり評判はよろしくなかったようで、もしかしたらこれらの結果からアニメの話は頓挫したのかもしれないと思うと残念でなりません。地上波で放送されたドラマは自分も見たことがありますが、あまりにも設定が変更されもはや「ビブリア古書堂の事件手帖」という名の別物を見せられており、内容も今ひとつというのが正直な感想です。ヒロインに妹がいるはずなのに、ジャニーズが演じる弟に変更されていたり、ヒロインが黒髪ロングなのにくせっ毛のショートヘアになってたり、ホームレスのおじさんがおしゃれなおじさんになってたり、大人の事情があったんだろうなと邪推せずにはいられない内容でした。やっぱ実写版は地雷ですね。
小説の話で思い出したものは他にも「珈琲店タレーランの事件簿」というのがあり、これも途中までしか読んでおらず、続きが気になったので改めて読み進めようと思っています。ビブリア古書堂の事件手帖の続編も気になるので、しばらくは読む本にこまることはなさそうです。珈琲店タレーランの事件簿は、ビブリア古書堂の事件手帖を読んだあとでは二番煎じという印象を抱くことは免れませんが、自分がコーヒーが好きということもあるので興味が続いているといったものになります。本以外の自分の趣味が重なる書籍というのは、魅力的に映るものですね。
ひたすら本を読むだけで生活できたらと夢見つつ、今回はここらで筆を置こうと思います。