前回のブログの続きになります。
あたりが暗くなりナイター営業が始まるのが先か、疲労や転倒によって継続不可となるのが先か、そんなチキンレースを19時頃まで続けました。ようやくあたりが暗くなり、空の明るさよりもライトによる光を頼りにしなければならない環境となったのです。そして自分はあと数回は滑れるだろうと、かろうじて体力を残すことに成功しました。しかしながら、変な滑り方をすればすぐに立てなくなる、股関節に違和感を抱きながらも震える下半身をなんとかボードに乗せているといった状態でした。
夜のスキー場というのは、電灯から発せられる光と雪からの照り返しで、それこそ夜間のショーのような明るさになるかと思っていたのですが、思っていたほど明るさはなく、昼頃にはっきりと見えていた雪化粧をしていた遠くの山は、全体を黒い膜で覆われたようにシルエットを示すだけ。想像していたよりも闇の占める割合が多く、人によっては恐怖すら感じるかもしれません。そして滑った感覚ですが、ナイターを目当てで来ている人が他にも多くいたようで、時間のわりにはコース上に人がたくさんいたなという感覚です。雪質についてはこの時間になるまでさんざん滑っていたこともあり、あまり印象には残っていませんが、それなりに滑りやすい状態だったと思います。いきなりナイターの状態から滑ると、コースがわかりにくいといったこともあるのかもしれないのですが、無心で何度も滑っていたことで、滑りにくさというのは全く感じていません。むしろ、ようやく終りが見えたという妙な安堵した気持ちが支配していたように思います。
ナイターで滑れるコースは長峰ゲレンデのなかの2つのコースで、最初に滑った方はさほど傾斜も急ではないのですが、もうひとつの方は最初に少し急な傾斜があり、そこで一気にスピードに乗って、平坦な部分を抜けた先、リフト前の傾斜を滑り切るといったコースです。スピードに慣れるため何度か滑っていたのですが、転倒せずに中盤まで滑りきったときはなかなか爽快な気持ちになれます。身体の疲れも吹っ飛ぶような気持ちになり、そのまま終盤で転倒していたたまれない気持ちになるところまでがワンセット。この日のラストランは転倒しないようにしたいという気持ちでいっぱいでした。
この日の本懐を遂げて満身創痍で宿泊先に戻り、鍵を受け取ってあてがわれた部屋へ。疲れ切った身体で、ボードを専用の配置場所に移動させて鍵をかけ、ボード用のカバンに入れた大きい荷物と、ヘルメットや手袋などの小物や靴、カバンを抱えて部屋まで移動する道のりがかなり大変だった。両手が完全にふさがった状態でエレベーターや鍵の操作など、疲労を実感するタイミングが多かった。そして部屋も扉を開けて靴を脱ぐスペースがかなり狭く、荷物をスムーズに入れることが出来ない。ブーツを脱いでウェアを脱いで、夕飯の時間が迫っていたので簡易的な着替えを済まして会場に向かう。予定を立てたときはまずお風呂に行ってから夕飯のつもりではいたものの、日の入りが思いの外おそかったことで、夕飯の前にお風呂に入るタイミングを逃してしまった。
夕飯はバイキングだったので3人分ぐらいたらふく食べた。1日中動いたこともで身体がエネルギーを無限に求めてた。お腹がいっぱいになったというよりは脂っこいものでしんどくなった感じ。ご飯と漬物のコーナーだけでも無限に食べられるような気がしたので突発的な食欲のヤバさを実感した。他のテーブルが家族連れなど団体が多いのに対して、自分は4人がけのテーブルに1人だけで少し寂しかった。ホテルグリーンプラザ上越は、宿泊場所とゲレンデの距離が近いこともあってか、家族連れや団体の宿泊客が多く、ゲレンデでもまとまって移動するような姿をよく見た。部屋も基本的には複数人用のものしかなく、独り身には親切ではない。しかし部屋の広さをみるとほぼシングルでは?と思うほどの広さしかないように感じる。部屋数が非常に多いが、そのぶん大浴場などの施設までの距離が長い。タオルを忘れて取りに帰るときの脱力感といったらもう。
ホテルグリーンプラザ上越の宿泊プランで2日分のリフト券をもらい、すでにウェアの袖にあるポケットに入れている。このリフト券は上越国際スキー場だけを対象としたものではなく、岩原スキー場でも使用することができる。そのため、2日目は岩原スキー場へ行こうと考えていた。夕飯を終えて部屋に戻るまでの道すがら、フロントに赴いて岩原スキー場までの道のりについて確認する。家で調べたときはシャトルバスが出ていると見かけたので、明日の運行時間さえわかれば行けるはず。そしてホテルマンから返ってきた一言は
「岩原スキー場の運行は先週終了しました」
「えっ!?」( Д ) ゚ ゚
まぁまぁ、3月下旬のシーズンオフ間近ですからね。シャトルバスがないのも致し方なしといった感じかな。とりあえず岩原スキー場まで他に移動手段がないかをきいたところ、少々お待ちくださいと裏手に引っ込んでしばらくしてからホテルマンが再度登場。その手には時刻表を握っている。その時刻表をもとに説明をし始めようというホテルマンを、時刻表に違和感を抱いた自分の発言が制止する。
「この時刻表って土日、祝日用のものではないですか?」
翌日は月曜で平日なのだ。指摘されて始めて気づいたようで、ホテルマンが再度奥に引っ込む。平日用の時刻表を持ってくるだけだと思っていたがなにやら時間がかかっている様子。しばらく待って出てきたホテルマンの手には何も握られていない。まさか暗記してきたのか?とかかんがえていると思いがけない言葉が返ってきた。
「岩原スキー場は今シーズンの営業を本日をもって終了いたしました」
「・・・はっ!?」
言ってることを理解するのに時間を要した。同じ系列のゲレンデで、チケットも双方で使えるようなプランなので、片方だけが営業を終了するという事態を全く想定していなかった。念のためリフト券の払い戻しとかも相談してみたが、宿泊プランとしての変更が効かないとかで対応できないとのこと。近くのゲレンデは何があるかと伺ってはみたが、GALAぐらいしか名前は出て来ない。ホテルマンの口からは、把握しておらず申し訳ないという言葉を繰り返されるばかり。明日も上越国際スキー場を滑るというのもなくはないが、この日だけでそもそも10時間滑ってるのよね。この上さらに滑ってもなぁという気持ち。まぁそれでも、早朝から人の少ないタイミングで滑れる機会もないだろうと自分を言い聞かせ、明日も上越国際スキー場でお世話になりますとホテルマンに返して部屋に戻った。3月末頃のゲレンデは、営業しているかどうかを事前にちゃんと確認しよう。
大量に腹に食べ物を放り込み、お風呂にも入り、部屋のベッドに座り込むとどっと疲れが眠気として襲いかかってきて、22時ぐらいには何もできない状態になっていた。渡されたフリーwifiのパスワードは何度やっても認証失敗となり、スマホをいじるのも億劫になる。とりあえず Kindle で「珈琲店タレーランの事件簿」を開いて、寝落ちするのを覚悟して読み始める。起きてから気づいたことではあるが、1ページも進まず寝落ちしてた。
この日の滑走記録は、滞在時間10時間超えの、滑走距離32km、リフトには31回乗っていた。移動だけのリフト移動が多かったので、滑走距離に比べてリフトの回数は多いものとなっている。丸沼高原では2.6時間で約10km、万座温泉スキー場では5時間で約18kmという記録と比較すると、いつもの2日分ぐらいを1日で滑っていることになる。今度からナイターを滑るときは開始時間は遅めにしようと心に誓った。
2日目も長くなりそうなのでまた区切る。こんなに内容が長くなる予定はなかったが、10時間滑ったりすればまぁそれなりに書くことは増えますね。