社会人10年の振り返り(3年~6年)

 前の記事の続きになります。入社してから3年ほどは順調にステップアップできており、成長に応じた仕事の任され方もされ、仕事に対する不満というのはほぼない状態でした。この頃から、所属しいるチームのみならず、周辺のチームとのやり取りをする機会が増え、より広い視野で仕事を見るようになった。ここからの3年が自分にとってひとつの大きな転機だったと感じている。

 データを集計し可視化するチームは自分の所属するチームのみではなく、目的ごとに様々なプロダクトがあり、プロダクトを管理しているチームがそれぞれ存在していた。これらのチームがひとつの部署にまとまっており、アクセス解析ツール開発といった総称になっていた。この部署の中で集計に関するバックエンド環境を一新しようという取り組みが始まり、自分もそのプロジェクトの一員として参加させてもらえた。普段のチームメンバーとは異なり、各チームの集計関連プロダクトの開発・運用実績のある人達が集まっていたので、どんな話ができるのかという期待と、自分はやくにたてるだろうかという不安があいまった心持ちでいた。

 実際にプロジェクトが始動して、古株のエンジニアがリーダー的な立ち位置になりいろいろ相談を進めたのだがなんとも状況がよろしくない。その時の自分は良くない雰囲気を感じ取りながらも何がどうだめなのかというのを明確にすることができず、行動を起こしてみるも空回りというのを繰り返していた。今改めてこの時の状況を振り返ると、プロジェクトに参加したメンバー全員が、バックエンドを一新する必要性については理解があるものの、バックエンドをどういう状態に持っていくのが良いのかということが考えられていなかった。多くのログを受け入れられるようにすればいいのか、それとも集計に関するアルゴリズムを見直してコストを下げるべきなのか、いくつか課題はあがるもののそこに適切に優先順位をつけられておらず、それにより提案が上がっても良し悪しの判断ができない(判断基準が明確ではない)といった状況に陥った。自身の実力不足を知るひとつのきっかけでもあるが、アクセス解析ツール開発にいる古株エンジニアがこれというのもどうなの?という疑問も同時に湧いた。この部門に居続けることへの危機感のようなものをいだいた。

 この状況を見かねてか、隣の部門の方々の協力を得られるようになった。この部門はデータを集約するための仕組みを構築・運用することを主としたチームが集まった部門。ウェブページで発生するたくさんのログデータを、できるだけ漏れなく、できるだけ早く、できるだけ大きな箱に集約し、自分たちのようなデータを集計・解析する人たちがアクセスしやすいように環境を整えてくれている。ここの部門の人たちが非常にデキる人の集まりで、特に「大きな箱」を構築・運用するチームは技術力の高い人が集まっていた。当時では国内でもあまり利用例のなかったHadoopクラスタというのを大規模に運用しており、技術難易度の高い取り組みに果敢に挑んで昼夜問わず仕事をしているような様子から「修羅の国」と他のチームからときおり言われていた。大変なチームだからあそこに配属されたくないと思う人達が多かったと思うが、自分はこのときこのチームに入ってもっと実力をつけられないかと考えるようになっていた。集計についてより深く知るために、データの置き場所になっているHadoopについて知りたい、そう言って半年ほどの移行期間を挟みながら Hadoopを構築・運用するチームに入社4~5年頃に参画する。

 所属して実際にタスクをやってみてわかった。必要な知識の深さ、タスクの難易度、どれも今までと違った。チームの人の協力を常にもらいながらなんとかタスクをこなす日々。さらに運用についても今まで以上に会社内に影響のあるプロダクトを対象としているため、Hadoopの障害が起こったときはチームで一丸となってできるだけ早くなんとか復旧させるというのが求められた。しかしながら、当時のHadoopに関する運用ノウハウはまだ世の中では少なく、ソフトウェアよりも環境に依存した障害が多かったため、問題点の特定とその解消には常に困難を極めた。この時期は本当に鍛えられたと思う。そして同時に自分にとっては恩師とも言える上司との出会いもあった。役職としては上司になるのだが年齢は自分よりひとつ下、しかし仕事の能力で圧倒的な差を感じた。論理的な思考能力に長けており、状況に応じて最善と思われる判断が適切にでき、コーディングなどのエンジニアとしての能力も高く、人当たりもいいので皆が遠慮なく話しかけることができる。大規模な障害が発生したときに30代40代のエンジニア含めた20名ほどを巻き込んで対応について取りまとめたりという実績もあった。多くの人がこの人に信頼をおいており、自分も同じように早い段階から大きな信頼をおいていた。

 Hadoopを扱うチームに入ってしばらくして、上司と自分の評価について話す機会があった。今までの仕事の実績評価に基づいて昇給昇進のような話と合わせて、もっと成果を出すためにどうするのが良いかといった話もされる。そこで自分が言われたのは

「論理的に話をすることが苦手のように見える」

「以前のチームの上司から聞いたんだけど 『ときどき何を言いたいのかよくわからないことがあった』と言ってて、たぶんこういうのも論理的な思考ができていないことが要因じゃないかと思う 」

 衝撃だった。何を言われているのか理解するのに少し時間がかかった。自身の成長課題について今まで考えることはあったものの、全く予期しない方向からの指摘だったのでしばらく固まった。次第に涙も出てきた。以前のチームのメンバーと何でも言い合える良好な関係を築けていると思っていたので、「遠慮なく言ってくれていいのに」という思いと「言えないような距離感だったのかなぁ」という感情が渦巻いてさらに涙が出た。このときに、今までの自分の行動を振り返って、あのときも自分は変な主張をしていたのではないかとか考えるようになってしまい、自信というものを完全に消失した。ただ、この指摘を面と向かって伝えてくれた上司には感謝しかなかった。伝える側の精神的負担も大きいはずであり、以前の上司のように伝えないという選択肢もある中で、きちんと伝えてくれたことが嬉しかった。このときからしばらくはロジカルシンキング関連の書籍をあさったり社内のセミナーとかいってみたりとトレーニングを続けてはみたものの、自分ではイマイチ実感がなく自信もなくなっているので、まだできていないだろうからもっと訓練しないといけない、と考えるようになっていたと思う。論理的思考能力については未だに自分にとって成長の課題となっている。

 5~6年目、HadoopやHadoopの周辺技術について学びつつ、構築・運用の業務を続けていた。Hadoop関連の知識は底が見えないほど深く、それでいて常に新しい技術が入ってくるため徐々に広くなっていく。Hadoopというソフトウェアの理解だけでも大変というなかで、新しく大規模なHadoopクラスタの構築という大きな仕事が始まった。これはデータセンターにおけるサーバ・ネットワーク構築といったインフラの内容も含んでおり、インフラ周りの知識についても身に付けなければならないプロジェクトだった。インフラを専門にしているチームはあるものの、必要なサーバ・ネットワークスペックや、どこにどれぐらいのサーバを置くかといった設計はこちらがやらないといけない。Hadoopクラスタの構築はチームとして経験はあったものの、規模が今までより大きく、扱うHadoopのバージョンが違うなど、初めて取り組む範囲も広かった。自分以外のプロジェクトメンバーはインフラに精通している人が多く、自分はただただついていくことがやっとだった。新しい知識を得ることは楽しかったが、予想と異なる事象が発生したときに、適切な判断や行動をすぐに取ることができず、躓いたらとにかく聞くしかないといった状態。不甲斐なさを痛感していた。

 そんなとき、このプロジェクトのプロジェクトマネージャーと設計関連で話をしているときに意見の対立が発生してしまいお互いに感情が高ぶった状態になった。相手が持論を並べて「この設計が理想だ!」と言い切った後、自分は相手の言いたいことはわかるが実際の状況を踏まえた上で理想の状態にはできない、妥協点を模索しないといけない、ということを主張しようとしたのだが、うまく言葉が整理できず少しの間黙ってしまった。これが相手の怒りをかってしまい相手はさらに言葉をまくしたてる。自分もどうにかしなければと感情が更に高ぶったときに、涙が出ていた。自分でも驚いたのだが、相手も驚いたようでお互いに何も言えなくなり、自分は一旦トイレに駆け込んで感情の整理をしようとした。笑い上戸で笑ったときによく涙も出るなと思ってはいたが、どうも自分は喜怒哀楽の感情が高ぶると涙の形でまずは出てしまうらしいというのをこのときに学んだ。プロジェクトマネージャーとはこの後きちんと和解でき、今でも顔を合わせるときは笑って話ができる間柄となっている。実力的にも他のメンバーと比べ劣っていながら、精神面でも脆さがあるなと感じ、今後このチームでやっていけるのかと不安をいだいていた。

 人からの印象というのはなかなか聞く機会がないもので、社内の人事的な仕組みによって上司と部下の間では定期的に話す機会があるものの、チームの中ではそれなりに関係性ができていなければ聞くことはできない。ましてやチーム外からコメントを貰うというのはさらに難しい。コメントを得られたとしても抽象的な内容がほとんどだろう。自分が以前アクセス解析ツール関連の部署にいたときに少しお世話になった偉い人とひょんなことから話す機会があった。このときに偉い人は自分に

「なんだか静かになったね」

とひと言まず言ったのがとても印象に残っている。どういうことですか?と聞いてみると

「以前はいろんなところに顔を出しており、いろんなところで君の名前を聞いたが、最近はそいうのが少なくなったように思う。」

悪くなったと言いたいわけではなさそうで、ただそのように感じたというのを伝えられた。言われたことを考えると、顔を出すコミュニティは以前に比べて減っており、今のチームでは目立った成果が出せていないことで自分の名前が上の人に広まることもない。偉い人の耳には確かに自分の情報が入りにくい状態になっていた。ここで更に気づいたのは、面白そうなことがあればとりあえずやってみるというのを以前はやっていた、やろうと思うモチベーションがあったのだが、今は似たような企画があってもモチベーションが上がらず手を上げることはしないようになっていた。気持ちが下向きになっていることが行動にも影響を与えており、人からの評価という面でも影響を与えていたことを実感した。目の前のタスクをこなすことに一杯一杯であったため、悩むような余裕はなかったが、気持ちが以前のように上向きになることはしばらくなかった。

 3年目~6年目の出来事について思い返してみた。書き出してみるとやはり印象深いことが多かったからかだいぶ長くなってしまった。今の自分を自分足らしめている出来事がこのあたりにあったなぁと改めて実感している。やはりこの時期はつらかった。自分で選んだ道ではあったものの、想像以上に精神的にきた。もし体力もなかったらたぶん倒れてたんじゃないかと思う。残り4年ほどはおそらく一気にかけると思うので、振り返りの記事としては次で最後。

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