2021.10.23 テニスの記録

 今日は風が強くて、サーブを打つたびにかぶっていた帽子が風に煽られて落ちてしまいつらかった。風下になれば伸びるボールにタイミングが合わせづらく、返球は伸びにくく打ち込まれやすくなる。風上になれば返球が風にのってアウトにならないように調整しなければならない。普段気にしているフォームがどうとかっていうのは気にする余裕があまりなかった。

今日コーチから直接指摘を受けたのは以下の通り

  • サーブのときに体が先行して前のめりになっている
  • バックハンドを打つとき、左足を曲げた状態で入れば自然と力がうちたい方向にのるはず
  • フォアハンドのとき左腰をいれると回転の力が乗って威力が出るはず

 サーブ練習をしたとき、おもいっきりオーバーしてアウトとなってしまった時があり、このときにコーチから言われたのが「体が先行して前のめりになっているため、遅れて出てくるラケットの面が上を向いてしまいアウトになってる」というもの。今まで自分で気づかなかった部分なので、今後は気をつけるようにしていきたい。コーチが言うには、サーブのときはあまり上体はまげないほうがよいだろうとのこ。ただ、これはトスのボールが乱れたときに起こりやすい感覚があるので、まずはトスを安定させていきたい。

 コーチとストロークを打ち合っているときに「バックハンドを打つときに打ちづらそうにしているように見える」といわれ、その後「バックハンドの足運びにおいて、左足を曲げた状態ではいることで、右足も自然と足が曲がりうちやすくなるのではないか」とアドバイスを貰った。アドバイスを受けてから試してみたけど余裕がないとうまくいかないので、今後の球出しからの練習において気にかけるようにしていきたい。

 フォアハンドについても、ストローク中に指摘を受けたもので「余裕があるショット(チャンスボールへの対応など)のときに、体が前を向いた状態で打っているため力が乗りにくい状態に見える。きちんと左腰を回し、その反動による回転を使って打てればボールに威力が乗るはず」と言われた。前に出て打つようなときに、オープン気味の構えになってしまい体の向きが前のままになっていたようだ。横着していた部分だと思うのでここは意識して直していきたい。

 今日担当してもらったコーチは自分に対して「ある程度打てるので、今日指摘したのは少し細かい部分になる。余裕があるときに試してみる感じでまずは良いですよ」といっていただいた。みてもらっている時期が長くなってきたこともあり、個別に調整してくれているのがとてもありがたい。今まで言われたことをひとつひとつできるようにし、成長した姿を見せることでお礼ができると嬉しい。

「採用100年史から読む 人材業界の未来シナリオ」を読んだ

 仕事の都合柄、人材業界についても知見を得ておかなければならず、とにかく概要だけでも知れる書籍はないかと探して見つけたのがこの本「採用100年史から読む 人材業界の未来シナリオ」

 人材業界の歴史を淡々と語る内容ではなく、各時代における主要ビジネスモデルと主要人材企業の立ち位置についての説明があったり、テクノロジーによってこの業界における戦い方がどう変わったのか、また今後どうなるのかなど、人材業界をひとつのテーマとした小説のような読み応えのある内容だった。特に自分にとっては、indeed がなぜこの業界で強いのかという疑問にしっかりと答えてくれていたのがとても助かった。

 人口が減少していくことがほぼ確実という日本の状況に対して、人材業界はこれに合わせて衰退するだけなのか、それとも人生100年時代や副業が浸透しまだまだ伸びしろがあるとみるべきなのか、今後この業界がどのようになるかの予想を立てるひとつの参考資料としてもとても役立つ書籍だと感じる。人材業界をテーマとした書籍があまりないことからも、この書籍の存在意義は非常に大きいだろう。

 人材業界に関わる人に限らず、就職や転職を考えている人、会社を経営するような立場の人も、当事者としての立場で参考になる箇所がいくらかあると思うので、広い範囲で役に立つのではないかと思う。すこしでも興味を持った人はぜひとも目を通してみて欲しい。

ゾーン(フロー)に入った記憶

 ブルーロックの最新刊を読んで、強さがインフレし始めてきたのかみんなゾーン(フロー)に入るのがなんだかデフォになってきてる。プロの選手とかになると、ある程度は意図してゾーンに入りやすい状況を生み出すことはできそうではあるものの、90分の中で望んだタイミングでゾーンに入るとか、テニスの王子様や黒子のバスケみたいになってきたなという感じはする。現代サッカーのよく言われる課題点をテーマにした漫画なので、自分にとっては興味深く、話もとても面白い。続きが気になる。

 

 「ゾーンに入る」という表現を見るたびに、自分が学生のときに体感した「調子がいい状態」をよく思い出す。小中高とすべて異なる球技をやっていて、そのなかでもバスケットボールをやっているときに調子のいい状態になった記憶が多く、これが今思うとゾーンに入るということだったのだろうと感じている。自分のポジションはポイントガードではあったが、チャンスが有ればスリーポイントシュートも狙って良いと言われていた。パスが主体のプレイスタイルではあったので、シューティングガードとまではいかない程度。抜きん出た何かを持っていたわけではないので、試合ではベンチに居ることが多かった。

 とある練習試合で2軍戦を行うことになり、その試合でフル出場する機会があった。このときはまだ4クォーター制が導入されておらず、20分ハーフが2回で、インターバルや審判の笛などによる時間止めを考えると全体で1時間程度の試合。今思うと20分ハーフのバスケってめちゃくちゃハードで、シャトルランを20分続けるようなもの。当時の自分の体力すげぇなと感心したりもする。今では3分でも最後まで走れるかわからない。

 この試合で特に鮮明に覚えているのが、試合終盤のスリーポイントシュート。自分は片手でのシュートでは飛距離が出せなかったため、スリーポイントシュートを打つときは両手でうっていた。(今でも言うのかわからないが)いわゆる女子シュートというもの。ポジション柄、両手でパスをする機会も多く、精度を求めるのであれば片手よりこっちのほういいなと感じていた。飛距離も出るし。このときのシュートは明らかに他のシュートとの差を実感したことがあり、それが強く記憶に残る要因だったと思う。まず体力がほぼなくなっており、極限状態で走っていた。普段ここまで長い時間フル出場することがなかったため、ペース配分などがちゃんとできていなかった。体をぶつけられたら倒れるんじゃないかなと考えながらボールを受け取り、何となくゴールの方を見ると「これ届くなぁ」といった思いつきがあり、自分をマークしているディフェンダーがあまり詰めてこなかったので迷わずシュートした。

 このときのボールの軌道がいつもよりも高い機動になり、滞空時間が長いシュートになった。ゴールに届くまでの時間、急に回りが静まり返りみんながボールに集中しているのがわかる。時が止まったかのような静けさから、ボールがリングに当たらずゴールに吸い込まれ、ネットがボールに絡む音が広がる。2軍戦なので歓声が上がったりすることはなかったが、その後に徐々にいろんな音が広がる感覚はとても気持ちがいいものだった。うったあとに気づいたが、スリーポイントのラインからさらに後ろに下がったポジションから自分はシュートしていた。いつもはシュートを狙わないような位置にも関わらず届くと感じたあの時間帯、ゾーンに入った状態だったのだろうと今は思う。

 その後も何本かスリーポイントシュートを決めることができ、自分が出したパスが起点となり点が取れ、その試合は勝利することができた。このときの活躍は当時のコーチにも評価され「それがいつでもできればレギュラーだな」と言われたが、当時の自分はゾーンというものを知らず、なんか調子がよかったなという印象で完結していた。練習で時々似たようなことは起こるものの、試合で使ってもらえるほど安定したものではなかった。ゾーンという状態について少しでも知識があれば、何かやりようはあったのかもしれないと思うと悔しい気持ちも湧いてくる。

 ゾーンのやっかいなところは、調子がいい状態を経験してしまうと、それ以外の場面で「あのときはできたのになんでだ?」という自身への苛立ちが湧いてしまうこと。この苛立ちは集中力を欠く要因となってしまうので、ゾーンからはさらに遠ざかってしまうという悪循環に陥る。掴みどころのない状態なので、いろんな選手がいろんな方法でゾーンに入りやすい状態を作ってはいるが、サッカーやバスケットといった競技でゾーンに入ることをコントロールするのは難しいだろう。

 ゾーンに入って得た満足感は自分の場合、強く好印象を残す。あのときの「なんでもできる」という感覚が忘れられず、もう一度体感したいと願ってしまう。スポーツで飯を食っていくわけではないが、楽しさに加えてこういった満足感を求めてスポーツができる機会をよく探している。自分のスポーツ好きの根幹はここにあるのかもしれないとこれを書いていて感じ始めている。

 年齢を重ねるにつれ、限界まで練習や試合をするといったことはなくなってきたためか、スポーツでゾーンにはいるといった経験はここ最近ではほとんどない。集中して何かに取り組むといったことはできるのだが、スポーツをしているときに感じた「なんでもできる」といった感覚とはまた別物のように思う。いま定期的にやっているスポーツはテニスだけ。テニスでゾーンに入ったら相手の動きがよく見えて、相手の返球方向にいち早く反応できるというのが高校のときにあったが、社会人になってまだ同じ体験はできていない。自分にとってゾーンにはいるために必要な要素が何なのかはっきりしないが、ゾーンにはいる感覚を求めて自分はこれからも変わらずスポーツを続けるだろう。

「げんしけん」を読んだら「Spotted Flower」も読んでくれ

 言いたいことはタイトルの通り。「げんしけん」を読んだ人は「Spotted Flower」も読んでくれ。げんしけんはアニメにもなりそれなりに名前は広まっていると思うけれど、これの後日譚のような内容となっている Spotted Flower が今もなお連載しているということを知っている人がどれだけいるだろうか。自分は1年ほど前に気づいた。

 気づくきっかけとなったのは、もともと書籍で持っていたげんしけんの漫画を処分し、電子版で再度買うということをした後に、Amazon のおすすめ商品として Spotted Flower が紹介されたことで存在を知った。

「同じ作者の作品か。概要だけでもみてみるか」

このときにスルーしなくて本当に良かった。概要を見たときの自分の反応は

「おやおやこの登場人物は?」

「なんか結婚してない?」

「何だこの人間模様!?」

 即座にその時出ている全巻を購入して読んだ。Amazon のおすすめは自分にとってコンバージョン率100%のものであり感嘆するばかり。自分の認識の外にあるもので、知れば必ず手には取るよねという賢い紹介ができるなら、ある程度トラッキングされてても抵抗がなくなってくる。むしろ進んで情報提供するかもしれない。

 本屋をぶらついて、意外な発見がないかを探すのが好きで、それと似たような感じでおすすめされたものとかけっこうみてしまう。統計とか技術書が多いけどたまに購読してる漫画の新刊とか出てるのがありがたい。最近やとブルーロックの新刊とか出るよって知ることができて超助かってる。あのサッカー漫画もおもろい。とくに Spotted Flower は1年に1冊出るか出ないかみたいなペースやから、こうやって教えてもらえないと忘れてしまう可能性が高い。いい時代になったもんや。

久々に出社した

 ずっとリモートで自宅からお仕事をしていたが、新しいチームで顔合わせも兼ねたオフラインのミーティングを突っ込まれてしまったので、しかたなく出社することになった。数カ月ぶりの出社で、移動先が以前通勤していたところとは違う場所になるため、めんどくさい外出になるなと数日前からかなり億劫だった。

 出社当日、オフラインのミーティングは午後からだったので、11時頃に家を出て目的地に向かった。もし朝から来てくれといわれてたら通勤ラッシュで1日のエネルギーをもってかれてたと思うので救われた。目的の駅には乗り換え1回でいける場所。乗り換え自体もさほど迷ったりすることのない駅なので、目的の駅までは難なくこれた。しかしここから先が大変だった。

 とりあえずお昼時だったので、駅近くのお店でハンバーグ定食を食べた。久々の外食ランチは最高だった。最近のランチはあまり時間が取れないこともあって、ご飯と味噌汁のみといった質素なものを手早く掻き込むということが多く、うまいものを久々に食べてるなぁという実感があった。また、お昼に食べている量が少ないせいか、定食の量がなかなかボリュームがあるように感じた。以前はこれにご飯のおかわりぐらいはいけたと思うが、全く余裕はなかった。随分と食が細くなったなと改めて感じた。お会計のときにバーコード決済で済ますつもりだったけれども、現金かカードのみと言われ、慌てて財布を取り出した。わりと都市部の駅のお店でも、バーコード決済に未対応のところもあるんやな。美味しかったけどあまり財布の出し入れをしたくない自分にとっては、リピートはなさそうやなと思ってしまった。

 ランチを終えて会社に向かう。最寄り駅から職場の建物まで、資料では徒歩10~15分と書かれていたが、自分が利用した路線の改札は職場の建物と駅を挟んで反対側にあるような位置関係であったため、駅を横断するような移動が必要になった。さらに駅構内が複雑になっており、最短経路がぱっと見ではわからない。大まかな方角のみを頼りにいったりきたりを繰り返してまずは駅から出ることに成功。駅を出たところで雨が降り出していることに気づいた。傘はない。

 職場の建物にたどり着いたときには雨を全身で浴びた状態になっており、眼鏡も雨粒まみれで前もよく見えない。カーディガンを着ていたため水分を吸い込んでしまい冷たく少し重くなってる。服が肌に張り付き不快感の高まりを感じ、こなければよかったと強く後悔していた。

 職場のフロアまでどう入るんだったけかなと、建物の入口で不審者のような動きをしていたが通報されることはなかった。フロアに入り、すぐにチームの人と顔合わせしときたいと思っていたが、顔と名前が一致しないうえに、すぐに別のミーティングが予定されており、慣れない環境での準備に時間を要したため、来てすぐに顔合わせはできなかった。濡れた服で参加するミーティングは集中に欠き、正直何を話していたのかほとんど覚えていなかった。

 2つのミーティングを終えて、オフラインでの参加をお願いされているミーティングまでに1時間ほどあったため、ここで顔合わせできる人とは挨拶を交わすことができた。同じタイミングでチームに参画した人とも話すことができ、一緒に今のオフィスを見て回った。探検をしている感覚でかなり楽しかった。同僚との仲を深める立派な仕事をこなすことができた。この人は以前マイクロソフト、LINEで働いており、自分と同じように実機(オンプレ)でのデータプラットフォーム環境構築・運用に携わっていたとのことなので、話も合うしとても優秀な若手でもあるので、今後のためにもできるだけ良好な関係を構築したいと思う。10年後ぐらいに「あのときは2人とも頑張ったね」と言い合える仲になれれば幸せ。

 そして待ちに待ったオフライン指定のミーティングが始まる。チームがこれから半年ほどでどういうことをしていくか、というのを相談する重要なミーティング。始まる直前、ミーティングの始まり方とか、ファシリの立ち位置とか、準備し始めてるけどみんなどうしたものかとちょっと足踏みしてる感じ。「いつもどのように進めてるんですかね?」と聞いてみると「実はこの会議をオフラインでやるのは4月以降だと2回ぐらいなんです」との返答。コロナで全体的にリモートでの仕事を原則とされてきたため、オフラインでの会議がこれまでほとんど実施されてこなかった。加えて、このチームは4月にできたチームということもあり、オフラインの会議は最初からほとんどない。今日が初顔合わせとなるのは10月にチームに参画した自分ともうひとりだけだと思っていたが、実は他にも数人いたというのだから驚いた。やっと会えたね、といったやり取りが何度かあり、和やかな雰囲気でミーティングは始まった。

 ミーティングが終わって17時頃、出社でだいぶ体力を持っていかれてた自分はすぐに帰りたいと思っていたが、担当するタスクの詳細について確認しておきたいことがあり、同じチームの方と少し話した。その流れで、チームの他の方を含めて雑談をし始めていた。オンラインでこれまで十分に自己紹介などができていなかったこともあり、このタイミングでいろいろと話をした。このチームでの働き方について聞いたり、今日の出社が大変だったという話をしたり、できるだけ出社したくないという思いを主張してみたり、先月職場で話をした文字数をこの1日で超えたんじゃないかなと思えるほど話をした。話の中で、3年後のデータプラットフォームどうするかについて自分ともうひとりで検討し草案を提出するというのを任されたので、まずはこれに注力したいと思う。この案がここから先のデータプラットフォームの基礎となるため、後々大変な思いをしないように、これまでの経験を活かして描いていきたい。

 1時間ほど話し込んで、帰路につくときも少し雨が降っていた。晴れ男だと思っていたがもしかしたら雨男なのかもしれない。帰りの電車はラッシュとかぶり、行きより人が多く圧迫感がつらかった。コロナとか関係なしに通勤の疲れで体調を崩すんじゃないかと心配になった。帰って諸々済ませてテレビをつけると、サッカー日本代表ワールドカップ予選の試合のハーフタイム。出社がなければ最初から見れたのになと残念な気持ちになっていた。




 個人的に出社に対しては否定的な意見を持っているものの、自分にとってのメリットがないわけではない。電車に揺られている間の読書は好きで、通勤している時期は月に数冊の本を読んでいたものの、今ではほとんど読んでおらず少し残念に感じている。家では本を読む以外にできることがあるので、本を読むしかできない電車の環境というのは、自分にとって知識を蓄えるひとつの要素となっていた。職場周辺の食事処の発掘というのも楽しかった。たまにプライベートの友人との話で「このあたりにある美味しいお店にいってみてくれ」みたいな話ができたりするので、情報のインプットという意味で役立っていた。今は家で簡単に作れるものしか殆ど食べなくなっており、お店の発掘などもしていない。しかしながら、お金がかかる、量も多いので太りやすいといったデメリットが合わさっており、自分にとってこのデメリットがなくなったことの効果のほうが大きい。オフラインでの会議は、やはり相手のリアクションが多くの情報をもとに読み取れ、認識に差がある場合はすぐに確認したり、ホワイトボードを使って全員で同じ見解を共有するというのはやりやすい。コミュニケーションにおいて対面でのやり取りほど早く深く理解し合うということができる手段は未だになさそう。オンラインの会議で同じ密度にしようと思うと、事前にかなり準備が必要で、話す内容がほぼ想定通りとしなければならないように思う。

 今所属しているチームでは今後、2週間に1度の頻度で定期的にオフラインでの会議が予定されている。自分が許容できるギリギリの回数だなぁと内心思いながら、雨の日は勘弁してくださいとチームにお願いもした。今日みたいな思いはできるだけしたくないし、出社にかかるエネルギーが自分にとっては大きすぎてその日仕事にならない。職場に近いところで住みたい気持ちもあるが、住宅補助もないのでなかなか厳しい。しばらくは2週間に1度、出社のたびに悪態をTwitter に垂れ流すことになりそうだ。

映画『EVEREST』をみたよ

 アマゾンプライムに入ったので面白そうな映画ないかなと探して、そういえば見ようと思ってみてなかった映画があったなと思い出したのがこのタイトル。エベレストの登山については書籍やらテレビやらで社会問題とかガイドの問題とか知ってて、特に「シェルパ」という存在が、自分の仕事の考え方において共感できるものがあり知っていた。

 先にシェルパと自分の仕事のつながりについて書いておく。シェルパとはもともと、エベレストの南麗、ネパール東部の山岳地帯に住む民族のことをいいます。ヒマラヤ山脈についての地理に詳しく、普段から高地に住んでいることもあり空気が薄いところでの活動に慣れていて、ヒマラヤ山脈の登山をする人にとってはガイドとして重宝されています。ヒマラヤ山脈の世界最高峰の山、エベレスト登頂を目指す登山家には、優秀なシェルパは必要不可欠です。いまではシェルパという言葉が「案内人」という意味を持つほど定着しており、ひとつのビジネスとして成り立っています。エベレスト初登頂を果たしたエドモンド・ヒラリーにも、テンジン・ノルゲイという優秀なシェルパが同行しました。初登頂を果たした二人にはその後「どちらが先に頭頂に足を踏み入れたのか」という質問をよくされたのだが、二人とも「同時だ」と答えたというエピソードがある。登山家とシェルパとの間にたしかな信頼関係ができていたことを物語っており、この信頼関係こそが、自分が築きたいデータエンジニアとデータ利用者の関係性だと感じました。

 自分はもっぱら、データを集めて集計する環境を提供するという立場におり、データ関連の部門が大きくなるにつれて、データの内容や集計結果が実際どのように活用されているのかについて、評価にも繋がりにくかったということもあり、あまり注目していませんでした。会社としてもデータの利活用を進めてサービスを良くしていこうという方針を掲げていたのですが、データを利用する部門と、データを扱う環境を整備する部門との間には同僚でありながら別会社とやり取りしているような、自身の都合を優先した話し合いになることが多く良い関係を生み出すことが困難でした。データを利用する側はもっとデータを不便なく使いたいと考えているが、無駄が多くデータの処理リソースが必要以上にかかってしまうことが多い。データを管理する側は、安定してコストを抑えてデータ提供することを優先するため、データ利用者からの要望の対応は遅々として進まない。お互いに自身の仕事に責任を持っているだけに譲れないものがあり、なかなか良い妥協点を見つけることができないでいます。この関係性について悩んでいたときにエベレスト初登頂のエピソードを見かけて、お互いに登山家と案内人の専門家でありながら、相手を尊重し合う関係性に感化されました。お互いの抱える事情や背景についてまずは理解しようという姿勢が足りないのだなとこのとき痛感したものです。まずは自分が良き「シェルパ」になろうと考え、データ利用者をサポートするようなチームのリーダーにしばらくなりました。

 シェルパという言葉が自分にどのように関わっているかについて、思いのほか長くなりました。映画を見た感想などをここから書いていきます。映画の内容についてあまり多くを書くつもりはないですが、念のためネタバレ注意です。





 実際にあった事故をもとに、エベレストに挑戦する登山家と、自然の脅威が描かれており、死と隣合わせの登山家たちの心情がよく表現されている作品だと感じました。エベレストのガイドによるビジネスがピークを迎えようとしたときに実際に発生していた、登山中の渋滞の問題、登山家の自己中心的な判断によってもたらされる悲劇、エベレストのゴミ問題といった描写もあり、メッセージ性もとてもある作品です。序盤は高地のキャンプ地で皆が自身の成功を信じ、酒を飲み交わしたり踊ったりと、こんなことここでできるのかと思えるような余裕のある場面が多いですが、中盤以降は様々な視点で自然の脅威をまざまざと見せつけられます。精神的にも肉体的にも追い込まれた状態で、ガイドは互いに連携を取り、みんなを死なせないために尽力する。その姿は確かに応援したくもなるのだが、窮地に陥る要因は登山家あるいはガイドの細かいミスが積もり積もった結果でもある。危険を承知で挑んでいるとはいえ、何かあったときに後悔なく受け入れることは難しい。家族がいるような場合はなおさらだ。ヒューマンドラマ、自然に対する人の無力さ、人によってもたらされた社会問題、印象的なシーンはたくさんあり、見る人によって深く印象に残るものは大きく差があるかもしれない。

 この作品の面白さは映像の中にとどまらず、実際の事故を再現するように描かれていることから、事故について後で調べて映画と比較するように情報を追うことも、人によっては楽しめるかもしれない。この事故を発端として社会問題として大きく取り上げられるようにもなり、その後のエベレスト登山に関する活動にも影響を与えている。また、撮影自体もかなり過酷なものだったと出演者は話しており、演技によって表現された自然に対する恐怖ではなく、実際に体感した恐怖をそのままカメラに収めたような形になったシーンもあるとのこと。凍傷になったスタッフや、命を落としかけたスタッフもいて、撮影現場自体が死と隣り合わせだったことが、結果的に実際にエベレストを登頂しているような映像を生み出したのかもしれない。日本人の出演者もいるため、日本語の記事も多くあり、映画を観た後にこういったメディアを追いかけることもとても楽しい。その時の心情、実はあれはアドリブだったなど、新しい発見が多く得られる。

 映画を見ていて少し感情移入しづらいなと感じた点が1点だけある。それは登場人物たちの相関図というか、誰が登山家で、誰がシェルパで、誰と誰がグループでといった、人に対するラベルがいまいちはっきりわからない点。後半まで名前と顔がはっきり一致しない人物もいた。登山しているとき、顔の殆どが覆われている状態になるため、誰が発言しているのかはっきりしないという場面もあった。シェルパについての詳しい説明があるわけでもないので、シェルパを知らないと「結局なんだったんだ?」となるかもしれない。事前知識として登場人物がどういった役割を担っているのか、シェルパとはなにかというのを知っておいたほうが見やすいだろう。

 記者から「なぜエベレストに挑むのか」と聞かれるシーンがある。これに対して、はっきりとした回答をする登山家はいなかった。これが自分にとっては印象的だった。「そこに山があるから」はある意味登山家たちの合言葉のようなもので、個人のはっきりとした理由を端的に答えてはいない。山を登るのがそれほど登山家にとって自然なことになっているのかもしれない、もはや理由は後付けなんだろうか、という感想とともに、好きだからという次元も超えて、山の魅力にただただ吸い込まれるように足を進めるというのはどんな状態なのだろうという興味も抱いてた。

 この作品を観た人の感想を聞いてみたいという気持ちもあるものの、エベレスト登頂と周辺の社会問題とかに興味がないと、かなり退屈かもしれんという思いもあり、思い切って勧められないというのが正直なところ。メッセージ性は強いものの、人によってはそれが鬱陶しいと感じるケースもあるのでなんとも悩ましい。もし観たよって人がいたら酒でも飲みながら話してみたいものです。

シン・エヴァンゲリオンをみおわった

 このタイミングでなぜ!?といった疑問があるかもしれないが、たまたまみれる時間が取れたのがこのタイミングだったというだけで特に理由はない。これまでのシリーズに対して特に考察などを行っているわけではないので、人並な感想になるとは思う。

 全体で2時間半ほど、映画の時間としては長めのものと思うが、だらだらとした印象はなく先の展開が気になりすぎて最初から最後まで休みなく見ることができた。難しいワード、世界観の理解でけっこうしんどいのかと思ったが、何となくこんなんだろうといった理解度合いであとは映像に見惚れる感じ。ロボットがどんぱちやるの好きなんで、戦闘シーンはずっと「かっこぇ~」って感嘆してた。脳死でみても楽しめるんとちゃうやろか。

ここから先ネタバレかもしれん

 まず観終わったときの達成感のような虚無感のような、「終わってしまったなぁ」という感想が口から出た。自分が学生の時から話題になってて、なにかイベントがあるたびにニュースなどに取り上げられて、いつになっても注目を集めるような大きなタイトルが終幕する。終わり方も、自分の中ではきれいにまとめたなぁという印象だったので、長い時間をかけたものがきれいに終わってすごい、終わりがちゃんとみられてよかった、感心と安心、このような感情が相まって大きな達成感に似た感覚を沸き起こし、そして時間とともに引いていく。この感情が落ち着いてくるのと同時に、虚無感のような感覚が徐々に満たしていく感じ。こういう感覚はおそらく2度と味わえないんじゃないかな。あるとしたらテイルズオブシリーズが終わるとか、そういった年月をかけて応援してきたものが終わるのを目にするときだろう。

 戦闘シーンすげぇってこと以外で印象に残ったんは、碇ゲンドウとシンジの会話が続くシーンで、ゲンドウが最後に電車を降りるあたりのシーン。ゲンドウが、自身が感じたことを淡々と語ってるだけではあるが、これが自分はTVシリーズの後半、シンジが自問自答を続けて結論を見出す流れと似てるなぁと感じてた。シンジとゲンドウで思い返す期間の長さに差はあるものの、大人も子供も自分のことについて悩んでその場その場で自分の結論を出すってところは変わらんのかなぁとか考えてた。

 そっくりさんがひとつひとつのあいさつについて「それは何?」と委員長に聞いたときの返答も印象深かったなぁ。「あいさつ」とはなにかと聞かれたら、自分なら「よく言う決まりごと」のような返答しかできないだろう。映画の中で言われていた「おまじない」のような意味を込めて日々の挨拶ができれば、とても素敵なことだなと感じた。

 キャラクターひとりひとりが魅力的なんですが、自分は映画を通してマリが一番好き。髪の長い知的でおもしろい女性は自分の好きなキャラクターの属性で、エヴァンゲリオンのキャラクターのなかだとマリが一番好みだった。できる女性へのあこがれは誰しもあるはず、たぶん。どんな状況であれ、面白い言い回しで余裕があるように見せることとか、人をからかいながらも本心をつく発言ができるとか、面白さと知的さを同時に兼ね備えることってけっこう難しいと思う。ミサトさんとかも好きではあるんだけど映画ではシリアスに寄りまくってたので、好きというより頑張れと応援したい人になってた。

 最後のシンジの声には驚いたな。成長をより具体的に表したいのかなとか考えた。というか緒方さんの声に馴染みすぎてて、それだけインパクトが出たということなんだと思う。

 エヴァンゲリオンの各映画の放映の間に、よく監督のドキュメンタリーとか、インタビュー記事とかを見る機会があって、映画の時間よりもそういった制作サイドのエンタメのほうが実際は放送時間が長かったりしないかな。ひとつの作品に対して長期間全身全霊で向き合い、最終的に大きな成果を上げるということは、仕事人としてとても尊敬し、参考にしたいなと思うこともしばしば。周りからの監督への印象が気にはなるものの、アウトプットで皆を納得させているような気もする。仕事への向き合い方についてまずは真似ていきたい。

 ほそぼそと追いかけてみてきたエヴァンゲリオンが終わって、人並な感想しか出てこないけれど、この作品に携わった人が大勢いて、人生に大きく影響を与えているということに、作品の凄さを思い知らされるばかり。人の注目を集め、人のモチベーションを上げ、自分も関わりたいと思わせるような魅力を長期間持ち続ける。この実現にどれほどのエネルギーを要したのかは想像することしかできない。とにもかくにも、無事に終わりまで走り抜けたことに最大限の感謝と敬意を送りたい。関係者の皆さん、とても楽しかったですありがとう。そして本当にお疲れさまでした。

2021.10.07 テニスの記録

遅刻した

 19時半から始まるということはわかっていたのに「19時半頃まで家にいて大丈夫」みたいな謎の思考になってた。仕事で疲れてたのかもしれない。19時20分ぐらいになって「もう出発せえへんと間に合わんへんやん!」って正気に戻った。このときの自分の脳みそホンマどうなってたんや。テニススクールは家から近かったこともあり、5分ほどの遅れですんだ。他の人が最初の軽いショートラリーをやっている横でストレッチして練習に合流。慣れない時間帯から開始するときは気をつけないと。

 今回気にしながらやったことは以下の3つ

  • ストロークにおいて打つときの足の幅を広げる
  • ボレーの返球スピードを上げるためにタイミングよく力を入れる
  • セカンドサーブとしてスライスサーブを試す

ストロークにおいて打つときの足の幅を広げる

 打球になかなか力が乗らないという課題があり、体重移動がうまくできていないことが原因と考えていた。そこで過去に強く打てた時の状態について思い出してみると、下半身がしっかりと安定した状態になっていることが多いように思う。より具体的に言うと、打つときに上半身がぐらつかないように、両足の幅を広げて構え、少し打点が下がった状態。これを意識して実施してみたところ、たしかに強い打球が打てる感覚はありよかったのだが、高い打点に対しては使えないので、高い打点のときは別途、力が乗る打ち方について考えていかなければならない。

ボレーの返球スピードを上げるためにタイミングよく力を入れる

 ボレーはずっと苦手にしており、直さなければいけないポイントはたくさんあるものの、まずは基本的な部分の改善をということで、力を入れるタイミングの改善に努めている。しかしながらラリー形式のようになるとボールを追うことに必死になってしまい、力を入れるタイミングを気にする余裕がなく、返球がゆるくなるということが多い。意識しなくても自然にできるようになるまで継続して取り組むしかない。

セカンドサーブとしてスライスサーブを試す

 最近はサーブの調子が良いため、ひとつステップアップとしてサーブの種類を増やすことに取り組んでみた。フラットサーブをファーストサーブとして用いていて、もしフォルトになると、スライス気味のゆるいサーブを打っていたが、上手い人が相手だとリターンで強烈なショットが返ってくるという問題があった。フラットサーブを続けて打ってもよいのだが、失敗すれば相手のポイントになるので、2回めのサーブは成功率を上げたうえで、相手が強い返球をしにくいサーブが打てると理想的となる。スライスサーブを実際に試してみて気にしなければならないと感じたのは以下の2点

  • 打点をいつもより右よりにする
  • ボールの横を叩きすぎないようにする

 打点を右寄りにするのは、腕を振る軌道をいつもよりも横にすることで、ボールに横回転の力を与えやすくするため。ボールの横を叩きすぎるのが問題となるのは、左コーナーを意識するあまり、ボールの横をラケットで叩いてしまい、左側にそれてフォルトとなってしまうことがあるため。ボールを叩く瞬間はボールの真後ろを叩くイメージで問題はなく、横回転の力はボールとラケットが触れている間にかかる横向きの腕の振りに任せれば良い。

 スライスサーブが使えるようになれば、サービスゲームに余裕が生まれ、全体的な勝率も上がってくるだろう。

 他に練習の中で気になったのは、バックハンドのストロークの足運びについて。フォア側(利き手側)のショットに比べるとすこし安定感が劣るのだが「このショットは良かったな」と思えるタイミングがあり、何が良かったのか思い返してみると、足運びが良かったんだろうなと考えられる。テニスでは左右に動きながら打つので、相手の方向に対してどのようにボールに力を乗せるかというのが課題になる。打ち方にもよるが、自分の場合、バックハンドのときに力が乗りにくく、威力が出にくい。バックもフォアも力が乗りにくいという個人的な課題はあるが、バックハンドはそれが顕著となっている。そんな中で「良かった」と思えるショットが打てたのは、いつもとは少し違った足運びによるものと思う。言葉で説明するのが少し難しいのだが、横に移動しながら、足が横向きに開いた形で打ち返すと、下半身の力が横向きに働き、相手の方向に対して乗せる力は体の回転や腕の力のみとなる。良かったときは足の方向が相手の方向に向いた状態となっていた。横に動いた後、向かってくるボールを迎えに行くような足運びができたことで、この足の方向ができたものと推測される。今後余裕があるときは、バックハンドの足の向きについて意識してみることにしよう。

新しいチームでの走り始め

 10月から所属するチームが変わった。まだ数日しか経っていないが、チームの状況が徐々にわかってきたので感じたことを書いていく。

 このチームの担当しているプロダクトはリリースされてからある程度年度は経っているものの、データの利活用を進めるといったフェーズになったのは半年前くらいから。データを集めて整形して、利用できるような形にするためのプラットフォームの初版ができたのはつい最近といった状態。自分が所属するチーム自体も同じ時期にできたものらしい。かなり手探りで進めているようで、まずはモノを作ることを優先したとのこと。そのため情報整理や今後どうするといった話はきちんと詰めきれていない。チームマネジメントといった部分についても、まだ土台となるチームの目標、指針といったものが掲げられていない状態だ。ベンチャー企業の初期状態というのが近いのかもしれない。

 事前の面談で「今まで普通に用意されていたものを今度は自分で積み上げていく必要がある状態です」とは聞いていたが予想以上だった。最初に取り掛かるタスクについて相談したときも「何をしてもらうのが良いものか」とチームの人たちが悩んでおり、変な時期に入ってきてしまい申し訳ない気持ちもなぜか湧いた。新しいメンバーが入ってきたときの準備といったものもままならないようなので「今ある情報をひと通り確認して、自分の方で何が必要か洗い出してみますね」と返し、いったん情報を集める作業をすることにした。タスク整理、優先度づけといったことを自分に任せてもらえるなら、自身の作業範囲とペースを自分のしたいようにできそうだし、将来的にチームの主導権を握って偉い人たちとのコミュニケーションの機会も増えれば、プロダクト全体の動向とかも見やすくなるだろうという狙いがある。データ管理の主導権を持つことができれば、外部要因の無駄なデータ運用をへらすことにつながるので、精神的負担も減らせるだろう。

 とにかくまずは、プロダクト、チームについての理解を進めて、少しでも早く馴染めるようにしなくては。新しいことを覚えるのは嫌いではないが、参考資料がメモ書きのようなものばかりで、「書かれてる内容の真意は?今は実際どうなっているの?」といった確認をひとつひとつしていかなければならず、作業量が多くなりなかなか大変。それでもひとつずつ確実に積み上げながら、半年後に「チームを異動してよかった」と言えるようにしたい。

2021.10.02 テニスの記録

熱中症になりかけた

 日差しがあって気温も25度は超えてるけど風が少し冷えるかと思い長袖長ズボンでテニスすることにしたが、たぶんこれがいけなかった。テニスが始まると風はあるもののさほど冷たくはない。なんか体力落ちたかな、すごいバテるな、とか思っていたら「顔が赤いですよ」と終わった後に言われた。そこで初めて熱中症になりかけてたのかもしれないと思った。

 今日のコーチは比較的強めな球を打ってきて、足が止まらないように頑張れと追い込んでくるタイプの人だった。自分がクラスの中では比較的打てる方ということもあったかもしれないが、こちらが絶妙に届かないところとか、反応が遅れると打ち損じるような球を打ってきた。個人的にはこういう練習のほうが体力も付きそうなのでありがたいが、他の人はどうだったのやら。自分より年配の人とかもいるので倒れないかと心配になってた。

 今回も前回同様、比較的サーブはミスが少なかったが、熱中症気味ということもあってか、以前気をつけていた3点をちゃんとできていると感じた頻度は少なかった。最後の方に肩が上げにくいなとも感じたので、体力は引き続き課題になりそう。

 ストロークにおいて指摘を受けたのは、少し高めのボールに対して、落ちきるまで待ってから打つのではなく、高い打点で可能ならば打ち込むように攻撃的な返球ができると良いという点。おそらく、高い打点で打つと失敗する可能性が上がると思って、無意識にボールが落ちきるのを待っていたのだろう。しかしこのままだと攻撃的な返球ができないままなので、相手に圧力をかけられない。今後は意識して高い打点で打てるときはしっかりと前に出ながら打ち込めるようにしていこう。

 指摘を受けたわけではないが、今回はボレーがうまくいかなかった。ボールに反応できて入るものの、早い返球がこちらもできておらず、相手にとってチャンスボールになってしまうことがしばしばあった。ボールがラケットに当たったときにラケットをしっかりと握って固定することがまだちゃんとできていないからだろう。ボレーはずっと苦手にしているので基礎からなんとかやり直して相手にチャンスを与えない状態にしたいところ。

 ラリーをしている最中に足を滑らせて盛大にすっ転んだ。特に怪我はしていないがかなりびっくりした。慌ててコートの外に逃げてった。今日は熱中症になりかけたりと厄日なんかもしれん。