映画『EVEREST』をみたよ

 アマゾンプライムに入ったので面白そうな映画ないかなと探して、そういえば見ようと思ってみてなかった映画があったなと思い出したのがこのタイトル。エベレストの登山については書籍やらテレビやらで社会問題とかガイドの問題とか知ってて、特に「シェルパ」という存在が、自分の仕事の考え方において共感できるものがあり知っていた。

 先にシェルパと自分の仕事のつながりについて書いておく。シェルパとはもともと、エベレストの南麗、ネパール東部の山岳地帯に住む民族のことをいいます。ヒマラヤ山脈についての地理に詳しく、普段から高地に住んでいることもあり空気が薄いところでの活動に慣れていて、ヒマラヤ山脈の登山をする人にとってはガイドとして重宝されています。ヒマラヤ山脈の世界最高峰の山、エベレスト登頂を目指す登山家には、優秀なシェルパは必要不可欠です。いまではシェルパという言葉が「案内人」という意味を持つほど定着しており、ひとつのビジネスとして成り立っています。エベレスト初登頂を果たしたエドモンド・ヒラリーにも、テンジン・ノルゲイという優秀なシェルパが同行しました。初登頂を果たした二人にはその後「どちらが先に頭頂に足を踏み入れたのか」という質問をよくされたのだが、二人とも「同時だ」と答えたというエピソードがある。登山家とシェルパとの間にたしかな信頼関係ができていたことを物語っており、この信頼関係こそが、自分が築きたいデータエンジニアとデータ利用者の関係性だと感じました。

 自分はもっぱら、データを集めて集計する環境を提供するという立場におり、データ関連の部門が大きくなるにつれて、データの内容や集計結果が実際どのように活用されているのかについて、評価にも繋がりにくかったということもあり、あまり注目していませんでした。会社としてもデータの利活用を進めてサービスを良くしていこうという方針を掲げていたのですが、データを利用する部門と、データを扱う環境を整備する部門との間には同僚でありながら別会社とやり取りしているような、自身の都合を優先した話し合いになることが多く良い関係を生み出すことが困難でした。データを利用する側はもっとデータを不便なく使いたいと考えているが、無駄が多くデータの処理リソースが必要以上にかかってしまうことが多い。データを管理する側は、安定してコストを抑えてデータ提供することを優先するため、データ利用者からの要望の対応は遅々として進まない。お互いに自身の仕事に責任を持っているだけに譲れないものがあり、なかなか良い妥協点を見つけることができないでいます。この関係性について悩んでいたときにエベレスト初登頂のエピソードを見かけて、お互いに登山家と案内人の専門家でありながら、相手を尊重し合う関係性に感化されました。お互いの抱える事情や背景についてまずは理解しようという姿勢が足りないのだなとこのとき痛感したものです。まずは自分が良き「シェルパ」になろうと考え、データ利用者をサポートするようなチームのリーダーにしばらくなりました。

 シェルパという言葉が自分にどのように関わっているかについて、思いのほか長くなりました。映画を見た感想などをここから書いていきます。映画の内容についてあまり多くを書くつもりはないですが、念のためネタバレ注意です。





 実際にあった事故をもとに、エベレストに挑戦する登山家と、自然の脅威が描かれており、死と隣合わせの登山家たちの心情がよく表現されている作品だと感じました。エベレストのガイドによるビジネスがピークを迎えようとしたときに実際に発生していた、登山中の渋滞の問題、登山家の自己中心的な判断によってもたらされる悲劇、エベレストのゴミ問題といった描写もあり、メッセージ性もとてもある作品です。序盤は高地のキャンプ地で皆が自身の成功を信じ、酒を飲み交わしたり踊ったりと、こんなことここでできるのかと思えるような余裕のある場面が多いですが、中盤以降は様々な視点で自然の脅威をまざまざと見せつけられます。精神的にも肉体的にも追い込まれた状態で、ガイドは互いに連携を取り、みんなを死なせないために尽力する。その姿は確かに応援したくもなるのだが、窮地に陥る要因は登山家あるいはガイドの細かいミスが積もり積もった結果でもある。危険を承知で挑んでいるとはいえ、何かあったときに後悔なく受け入れることは難しい。家族がいるような場合はなおさらだ。ヒューマンドラマ、自然に対する人の無力さ、人によってもたらされた社会問題、印象的なシーンはたくさんあり、見る人によって深く印象に残るものは大きく差があるかもしれない。

 この作品の面白さは映像の中にとどまらず、実際の事故を再現するように描かれていることから、事故について後で調べて映画と比較するように情報を追うことも、人によっては楽しめるかもしれない。この事故を発端として社会問題として大きく取り上げられるようにもなり、その後のエベレスト登山に関する活動にも影響を与えている。また、撮影自体もかなり過酷なものだったと出演者は話しており、演技によって表現された自然に対する恐怖ではなく、実際に体感した恐怖をそのままカメラに収めたような形になったシーンもあるとのこと。凍傷になったスタッフや、命を落としかけたスタッフもいて、撮影現場自体が死と隣り合わせだったことが、結果的に実際にエベレストを登頂しているような映像を生み出したのかもしれない。日本人の出演者もいるため、日本語の記事も多くあり、映画を観た後にこういったメディアを追いかけることもとても楽しい。その時の心情、実はあれはアドリブだったなど、新しい発見が多く得られる。

 映画を見ていて少し感情移入しづらいなと感じた点が1点だけある。それは登場人物たちの相関図というか、誰が登山家で、誰がシェルパで、誰と誰がグループでといった、人に対するラベルがいまいちはっきりわからない点。後半まで名前と顔がはっきり一致しない人物もいた。登山しているとき、顔の殆どが覆われている状態になるため、誰が発言しているのかはっきりしないという場面もあった。シェルパについての詳しい説明があるわけでもないので、シェルパを知らないと「結局なんだったんだ?」となるかもしれない。事前知識として登場人物がどういった役割を担っているのか、シェルパとはなにかというのを知っておいたほうが見やすいだろう。

 記者から「なぜエベレストに挑むのか」と聞かれるシーンがある。これに対して、はっきりとした回答をする登山家はいなかった。これが自分にとっては印象的だった。「そこに山があるから」はある意味登山家たちの合言葉のようなもので、個人のはっきりとした理由を端的に答えてはいない。山を登るのがそれほど登山家にとって自然なことになっているのかもしれない、もはや理由は後付けなんだろうか、という感想とともに、好きだからという次元も超えて、山の魅力にただただ吸い込まれるように足を進めるというのはどんな状態なのだろうという興味も抱いてた。

 この作品を観た人の感想を聞いてみたいという気持ちもあるものの、エベレスト登頂と周辺の社会問題とかに興味がないと、かなり退屈かもしれんという思いもあり、思い切って勧められないというのが正直なところ。メッセージ性は強いものの、人によってはそれが鬱陶しいと感じるケースもあるのでなんとも悩ましい。もし観たよって人がいたら酒でも飲みながら話してみたいものです。

シン・エヴァンゲリオンをみおわった

 このタイミングでなぜ!?といった疑問があるかもしれないが、たまたまみれる時間が取れたのがこのタイミングだったというだけで特に理由はない。これまでのシリーズに対して特に考察などを行っているわけではないので、人並な感想になるとは思う。

 全体で2時間半ほど、映画の時間としては長めのものと思うが、だらだらとした印象はなく先の展開が気になりすぎて最初から最後まで休みなく見ることができた。難しいワード、世界観の理解でけっこうしんどいのかと思ったが、何となくこんなんだろうといった理解度合いであとは映像に見惚れる感じ。ロボットがどんぱちやるの好きなんで、戦闘シーンはずっと「かっこぇ~」って感嘆してた。脳死でみても楽しめるんとちゃうやろか。

ここから先ネタバレかもしれん

 まず観終わったときの達成感のような虚無感のような、「終わってしまったなぁ」という感想が口から出た。自分が学生の時から話題になってて、なにかイベントがあるたびにニュースなどに取り上げられて、いつになっても注目を集めるような大きなタイトルが終幕する。終わり方も、自分の中ではきれいにまとめたなぁという印象だったので、長い時間をかけたものがきれいに終わってすごい、終わりがちゃんとみられてよかった、感心と安心、このような感情が相まって大きな達成感に似た感覚を沸き起こし、そして時間とともに引いていく。この感情が落ち着いてくるのと同時に、虚無感のような感覚が徐々に満たしていく感じ。こういう感覚はおそらく2度と味わえないんじゃないかな。あるとしたらテイルズオブシリーズが終わるとか、そういった年月をかけて応援してきたものが終わるのを目にするときだろう。

 戦闘シーンすげぇってこと以外で印象に残ったんは、碇ゲンドウとシンジの会話が続くシーンで、ゲンドウが最後に電車を降りるあたりのシーン。ゲンドウが、自身が感じたことを淡々と語ってるだけではあるが、これが自分はTVシリーズの後半、シンジが自問自答を続けて結論を見出す流れと似てるなぁと感じてた。シンジとゲンドウで思い返す期間の長さに差はあるものの、大人も子供も自分のことについて悩んでその場その場で自分の結論を出すってところは変わらんのかなぁとか考えてた。

 そっくりさんがひとつひとつのあいさつについて「それは何?」と委員長に聞いたときの返答も印象深かったなぁ。「あいさつ」とはなにかと聞かれたら、自分なら「よく言う決まりごと」のような返答しかできないだろう。映画の中で言われていた「おまじない」のような意味を込めて日々の挨拶ができれば、とても素敵なことだなと感じた。

 キャラクターひとりひとりが魅力的なんですが、自分は映画を通してマリが一番好き。髪の長い知的でおもしろい女性は自分の好きなキャラクターの属性で、エヴァンゲリオンのキャラクターのなかだとマリが一番好みだった。できる女性へのあこがれは誰しもあるはず、たぶん。どんな状況であれ、面白い言い回しで余裕があるように見せることとか、人をからかいながらも本心をつく発言ができるとか、面白さと知的さを同時に兼ね備えることってけっこう難しいと思う。ミサトさんとかも好きではあるんだけど映画ではシリアスに寄りまくってたので、好きというより頑張れと応援したい人になってた。

 最後のシンジの声には驚いたな。成長をより具体的に表したいのかなとか考えた。というか緒方さんの声に馴染みすぎてて、それだけインパクトが出たということなんだと思う。

 エヴァンゲリオンの各映画の放映の間に、よく監督のドキュメンタリーとか、インタビュー記事とかを見る機会があって、映画の時間よりもそういった制作サイドのエンタメのほうが実際は放送時間が長かったりしないかな。ひとつの作品に対して長期間全身全霊で向き合い、最終的に大きな成果を上げるということは、仕事人としてとても尊敬し、参考にしたいなと思うこともしばしば。周りからの監督への印象が気にはなるものの、アウトプットで皆を納得させているような気もする。仕事への向き合い方についてまずは真似ていきたい。

 ほそぼそと追いかけてみてきたエヴァンゲリオンが終わって、人並な感想しか出てこないけれど、この作品に携わった人が大勢いて、人生に大きく影響を与えているということに、作品の凄さを思い知らされるばかり。人の注目を集め、人のモチベーションを上げ、自分も関わりたいと思わせるような魅力を長期間持ち続ける。この実現にどれほどのエネルギーを要したのかは想像することしかできない。とにもかくにも、無事に終わりまで走り抜けたことに最大限の感謝と敬意を送りたい。関係者の皆さん、とても楽しかったですありがとう。そして本当にお疲れさまでした。

2021.10.07 テニスの記録

遅刻した

 19時半から始まるということはわかっていたのに「19時半頃まで家にいて大丈夫」みたいな謎の思考になってた。仕事で疲れてたのかもしれない。19時20分ぐらいになって「もう出発せえへんと間に合わんへんやん!」って正気に戻った。このときの自分の脳みそホンマどうなってたんや。テニススクールは家から近かったこともあり、5分ほどの遅れですんだ。他の人が最初の軽いショートラリーをやっている横でストレッチして練習に合流。慣れない時間帯から開始するときは気をつけないと。

 今回気にしながらやったことは以下の3つ

  • ストロークにおいて打つときの足の幅を広げる
  • ボレーの返球スピードを上げるためにタイミングよく力を入れる
  • セカンドサーブとしてスライスサーブを試す

ストロークにおいて打つときの足の幅を広げる

 打球になかなか力が乗らないという課題があり、体重移動がうまくできていないことが原因と考えていた。そこで過去に強く打てた時の状態について思い出してみると、下半身がしっかりと安定した状態になっていることが多いように思う。より具体的に言うと、打つときに上半身がぐらつかないように、両足の幅を広げて構え、少し打点が下がった状態。これを意識して実施してみたところ、たしかに強い打球が打てる感覚はありよかったのだが、高い打点に対しては使えないので、高い打点のときは別途、力が乗る打ち方について考えていかなければならない。

ボレーの返球スピードを上げるためにタイミングよく力を入れる

 ボレーはずっと苦手にしており、直さなければいけないポイントはたくさんあるものの、まずは基本的な部分の改善をということで、力を入れるタイミングの改善に努めている。しかしながらラリー形式のようになるとボールを追うことに必死になってしまい、力を入れるタイミングを気にする余裕がなく、返球がゆるくなるということが多い。意識しなくても自然にできるようになるまで継続して取り組むしかない。

セカンドサーブとしてスライスサーブを試す

 最近はサーブの調子が良いため、ひとつステップアップとしてサーブの種類を増やすことに取り組んでみた。フラットサーブをファーストサーブとして用いていて、もしフォルトになると、スライス気味のゆるいサーブを打っていたが、上手い人が相手だとリターンで強烈なショットが返ってくるという問題があった。フラットサーブを続けて打ってもよいのだが、失敗すれば相手のポイントになるので、2回めのサーブは成功率を上げたうえで、相手が強い返球をしにくいサーブが打てると理想的となる。スライスサーブを実際に試してみて気にしなければならないと感じたのは以下の2点

  • 打点をいつもより右よりにする
  • ボールの横を叩きすぎないようにする

 打点を右寄りにするのは、腕を振る軌道をいつもよりも横にすることで、ボールに横回転の力を与えやすくするため。ボールの横を叩きすぎるのが問題となるのは、左コーナーを意識するあまり、ボールの横をラケットで叩いてしまい、左側にそれてフォルトとなってしまうことがあるため。ボールを叩く瞬間はボールの真後ろを叩くイメージで問題はなく、横回転の力はボールとラケットが触れている間にかかる横向きの腕の振りに任せれば良い。

 スライスサーブが使えるようになれば、サービスゲームに余裕が生まれ、全体的な勝率も上がってくるだろう。

 他に練習の中で気になったのは、バックハンドのストロークの足運びについて。フォア側(利き手側)のショットに比べるとすこし安定感が劣るのだが「このショットは良かったな」と思えるタイミングがあり、何が良かったのか思い返してみると、足運びが良かったんだろうなと考えられる。テニスでは左右に動きながら打つので、相手の方向に対してどのようにボールに力を乗せるかというのが課題になる。打ち方にもよるが、自分の場合、バックハンドのときに力が乗りにくく、威力が出にくい。バックもフォアも力が乗りにくいという個人的な課題はあるが、バックハンドはそれが顕著となっている。そんな中で「良かった」と思えるショットが打てたのは、いつもとは少し違った足運びによるものと思う。言葉で説明するのが少し難しいのだが、横に移動しながら、足が横向きに開いた形で打ち返すと、下半身の力が横向きに働き、相手の方向に対して乗せる力は体の回転や腕の力のみとなる。良かったときは足の方向が相手の方向に向いた状態となっていた。横に動いた後、向かってくるボールを迎えに行くような足運びができたことで、この足の方向ができたものと推測される。今後余裕があるときは、バックハンドの足の向きについて意識してみることにしよう。

新しいチームでの走り始め

 10月から所属するチームが変わった。まだ数日しか経っていないが、チームの状況が徐々にわかってきたので感じたことを書いていく。

 このチームの担当しているプロダクトはリリースされてからある程度年度は経っているものの、データの利活用を進めるといったフェーズになったのは半年前くらいから。データを集めて整形して、利用できるような形にするためのプラットフォームの初版ができたのはつい最近といった状態。自分が所属するチーム自体も同じ時期にできたものらしい。かなり手探りで進めているようで、まずはモノを作ることを優先したとのこと。そのため情報整理や今後どうするといった話はきちんと詰めきれていない。チームマネジメントといった部分についても、まだ土台となるチームの目標、指針といったものが掲げられていない状態だ。ベンチャー企業の初期状態というのが近いのかもしれない。

 事前の面談で「今まで普通に用意されていたものを今度は自分で積み上げていく必要がある状態です」とは聞いていたが予想以上だった。最初に取り掛かるタスクについて相談したときも「何をしてもらうのが良いものか」とチームの人たちが悩んでおり、変な時期に入ってきてしまい申し訳ない気持ちもなぜか湧いた。新しいメンバーが入ってきたときの準備といったものもままならないようなので「今ある情報をひと通り確認して、自分の方で何が必要か洗い出してみますね」と返し、いったん情報を集める作業をすることにした。タスク整理、優先度づけといったことを自分に任せてもらえるなら、自身の作業範囲とペースを自分のしたいようにできそうだし、将来的にチームの主導権を握って偉い人たちとのコミュニケーションの機会も増えれば、プロダクト全体の動向とかも見やすくなるだろうという狙いがある。データ管理の主導権を持つことができれば、外部要因の無駄なデータ運用をへらすことにつながるので、精神的負担も減らせるだろう。

 とにかくまずは、プロダクト、チームについての理解を進めて、少しでも早く馴染めるようにしなくては。新しいことを覚えるのは嫌いではないが、参考資料がメモ書きのようなものばかりで、「書かれてる内容の真意は?今は実際どうなっているの?」といった確認をひとつひとつしていかなければならず、作業量が多くなりなかなか大変。それでもひとつずつ確実に積み上げながら、半年後に「チームを異動してよかった」と言えるようにしたい。

2021.10.02 テニスの記録

熱中症になりかけた

 日差しがあって気温も25度は超えてるけど風が少し冷えるかと思い長袖長ズボンでテニスすることにしたが、たぶんこれがいけなかった。テニスが始まると風はあるもののさほど冷たくはない。なんか体力落ちたかな、すごいバテるな、とか思っていたら「顔が赤いですよ」と終わった後に言われた。そこで初めて熱中症になりかけてたのかもしれないと思った。

 今日のコーチは比較的強めな球を打ってきて、足が止まらないように頑張れと追い込んでくるタイプの人だった。自分がクラスの中では比較的打てる方ということもあったかもしれないが、こちらが絶妙に届かないところとか、反応が遅れると打ち損じるような球を打ってきた。個人的にはこういう練習のほうが体力も付きそうなのでありがたいが、他の人はどうだったのやら。自分より年配の人とかもいるので倒れないかと心配になってた。

 今回も前回同様、比較的サーブはミスが少なかったが、熱中症気味ということもあってか、以前気をつけていた3点をちゃんとできていると感じた頻度は少なかった。最後の方に肩が上げにくいなとも感じたので、体力は引き続き課題になりそう。

 ストロークにおいて指摘を受けたのは、少し高めのボールに対して、落ちきるまで待ってから打つのではなく、高い打点で可能ならば打ち込むように攻撃的な返球ができると良いという点。おそらく、高い打点で打つと失敗する可能性が上がると思って、無意識にボールが落ちきるのを待っていたのだろう。しかしこのままだと攻撃的な返球ができないままなので、相手に圧力をかけられない。今後は意識して高い打点で打てるときはしっかりと前に出ながら打ち込めるようにしていこう。

 指摘を受けたわけではないが、今回はボレーがうまくいかなかった。ボールに反応できて入るものの、早い返球がこちらもできておらず、相手にとってチャンスボールになってしまうことがしばしばあった。ボールがラケットに当たったときにラケットをしっかりと握って固定することがまだちゃんとできていないからだろう。ボレーはずっと苦手にしているので基礎からなんとかやり直して相手にチャンスを与えない状態にしたいところ。

 ラリーをしている最中に足を滑らせて盛大にすっ転んだ。特に怪我はしていないがかなりびっくりした。慌ててコートの外に逃げてった。今日は熱中症になりかけたりと厄日なんかもしれん。

社会人10年の振り返り(6年~10年)

 前の記事の続きになります。入社してから6年ほど、自信は打ち崩され仕事の面でも大きな成果が出せず、評価は並といった状態が続いた。チームとしては技術力が高く会社への貢献度合いもある程度あるものの、自分は何もできていないという思いが強まっていた。

 新しいHadoopクラスタの構築は先輩方の努力のおかげでなんとかリリースでき、運用フェーズとなってしばらくして、利用者が増えてきたことによる運用コストがチームの課題となっていた。以前自分はHadoopクラスタを利用する立場であり、利用者側の状況もある程度想像がつくだろうということで、運用コスト削減を目的としたチームを組み、自分がそのリーダーという立場になった。率先してリーダーになったというわけではなく、立場を変えることでなにか成長のきっかけが得られないかという試験的な面と、もしもうまくいくならチームとしても嬉しいし、うまくいかなくてもさほどダメージはないといった、わりと消極的な背景から与えられた環境であった。それでも、自分が不甲斐ない働きをすれば自分のチームに配属された人にも悪影響が出てしまうので、やれることをやろうと意気込んで取り組んだ。

 6~8年目、リーダーという立場によって今まで経験したことのないタイプの業務を経験した。特にメンバーとのコミュニケーションに関する業務、キャリアについて一緒に考えたり、成長のポイントはなにかを相談したり、今までプロダクトを対象に観察していたが今度はこれが人になった。これが自分はうまくできなかった。チームと言っても用意された人員は自分を含めても3, 4人、決してメンバーが多いわけではない。ひとり若手がいて、他は自分よりも年配のシニアエンジニア。若手とのコミュニケーションでは、仕事へのモチベーションを上げてもらうことに苦労した。コーディングをたくさんして開発がしたいと本人は思っているが、配属されたのはHadoopクラスタという大きな箱の構築と運用がメインのチーム。運用コスト削減のためにツール開発はあるものの、それは若手のモチベーションを大きく引き上げるような仕事ではなかった。程なくしてこの若手は、担当したツールをリリースした後、よりコアな社内ツールの開発をするチームへと自ら志願して異動となった。仕事を通してなにか成長の手助けができたのか今でも疑問が残り、申し訳ないという気持ちもある。

 年配のエンジニアのうちひとりは、そもそも運用コスト改善のチームへの配属が、自身のスキルセットに対してあっていないと考えており、この配属に対して不満を示していた。運用コスト改善は主としてツール開発をすることになるのだが、この人のスキルセットは運用に関するスキルが広く、そして深い。異動をしてもらった理由のひとつに開発をしてもらうことでさらにスキルセットを充実させ多様なキャリアを目指せるようにしようという狙いであったが、本人にとってはこれが余計なお世話だった。スタートから関係性が良好ではない状態で「コミュニケーションにおいて、伝え方などを改善するとより評価が上がるのではないか」といった提案をしたときに「コミュニケーションにおいて私に課題があるならもうやりとりはしなくてもよい」と突っぱねられ、しばらくは最低限の業務連絡以外のやり取りを拒まれる状態となってしまった。他の年配のエンジニアの方も、自分より十分にスキルがあるものの、昇給昇進などに興味を示していない人たちだったため、最終的には業務連絡以外の人事的な相談というのは実施しない状態となった。あまりチームとして良い状態とは言えなかったものの、技術の高い人達が集まってはいたので、自分がタスクの細分化とその計画をしっかりと用意すれば、タスクを期限内に消化するということはできていた。アウトプットが出ているだけに「まぁキャリアやモチベーションは本人に委ねなければならない部分もあるか」と割り切った考えもするようになっていた。しかしこのチームが良いチームとも自分から言えない状態だったので、ある程度区切りが良いところでチームを解散することを上司に提案し、自分は再度役職のない状態に戻った。Hadoopクラスタの運用業務を中心とした仕事にしばらくは没頭し、他人の将来を考える必要がないことに少し安堵していたと思う。自分は他人への興味関心が低いのだとこの期間を通して実感した。

 8~9年目、上司からこんな2択が投げ込まれた。

「今のチームで続けるか、隣のデータ可視化チームにヘルプとして移るか、どっちがいい?」

隣のチームではGoogleAnalyticsのようなものを内製で用意し、自社の様々なウェブページからログをHadoopクラスタに集め、集計、可視化するといったことをしていた。入社時に自分が配属されたチームと似たようなことをしているが、使用しているソフトウェアなど環境はだいぶ異なるものだった。このチームの特に集計部分の人員が足りておらず運用がきちんとできていないということだった。上司には「どっちでもいいですよ」と回答していた。今のチームで大きな貢献はできないかもしれないが、ベースの技術力が高いチームなので、しがみつき続けることで個人として成長は可能だろうと思っていた。一方で仮にヘルプに入る場合、触れたことのないソフトウェアの知識を得ることができるため、Hadoopに偏ったスキルセットをより広いものにできるかもしれないという期待もあった。どちらも悪くはないだろうと考えてはいたものの、明確にこちらが良いと言えるほどの差はなかった。というよりは自信がないことでどっちに転んでもそこそこの成果しか出せそうにないだろうな、と消極的に考えていた。

 隣のチームへの異動が決まった。このチームにとっては待望の助っ人がきてくれたという嬉しさがあったようで、かなり丁寧にもてなされた。この期待が自信のない自分にとっては逆に怖かった。期待を裏切れないというプレッシャーがのしかかってきていた。問題の集計部分について、チームの人にレクチャーを受けながら状態を調べていったところ、とにかくやばかった。使われているソフトウェア(Apache Druid)は本来想定されていない使われ方をしており、ソフトウェアに適さないサーバの選出、集計において必要になるCPU・メモリ・ディスクは無駄に消費されてコストが掛かっている。想像以上にやばかった。とんでもないチームに入ってしまったと後悔した。しかもこれがすでに定常稼働して社内向けとはいえサービスを提供しているというのだから驚愕だった。一回停止して設計からやり直したい、設計した人を殴りたいと思った。データプラットフォームと言われるようなデータを毎日変わらず提供し続ける環境を、動かし続けながら、設計段階で見落とした問題解消のために改善しようと思ったとき、設計時よりも十倍、あるいは十数倍のコストがかかると言われている。まさにそのコストがかかる作業をやらなければならないのだ。こうなった要因として見えてきたのは、設計者が Apache Druid というソフトウェアを使用することを重視して物事を進めたということ。手段が目的となって進められたせいで、本来実現したいことはいびつな形で、かなりコストがかかる状態でなされていた。エンジニアにはこういった事はよくあって、興味のあるツールを知ると使いたくなる傾向があり、他の手段をきちんと検討しない手抜きの設計によって運用のフェーズで多くの人を困らせることになる。チーム内でこれをきちんと指摘する人がいればよかったのだが、設計段階で指摘を受けたという話は聞かれなかったので、チームに対する不信感が芽生え始めていた。

 チームの異動に際して、自分には以下の3つのミッションが課せられていた

  • 集計環境の改善
  • 集計にかかるコストの削減
  • 他チームとの関係改善

集計環境の改善、コストの削減は、すでにあるものを動かし続けながらひとつずつ直してくという作業になるのだが、最後の「他チームとの関係改善」というのがまた面倒なものだった。当時集計について担当していた人が、Hadoopクラスタを運用するチーム(自分がもともといたチーム)やプロダクトの関わるチームとのやりとりにおいて、自身のやりたいことが通らない場合に態度が悪くなり、チームとしての印象を悪くしてしまっているという問題があった。これを当の本人はあまり自覚しておらず、なまじ知識や技術があるために同じチームのメンバーは指摘がしづらい(なにか言っても持論を展開して面倒になるので避ける)という状態だった。他チームとの集計に関するコミュニケーションの窓口としてこの人が立ってしまうと関係が改善されないので、代わりに自分が担当するということになった。さらには、問題となっている人にきちんと発言できるのが社歴やスキル的にも自分のみなので、他チームとの関係悪化の要因があなたの話し方にある、というのをどこかで伝えて自覚さなければならなかった(自分がいつまでも窓口になるわけにはいかないため)。これはさすがに上司がやれよと思ったが、理詰めで話してくる相手に対して辛抱強く耐えるコミュニケーションを上司が得意としないため、自分がやらざるを得なかった。

 環境の改善、コストの削減、やり始めてみると新しいソフトウェアについての知識を得ることが楽しく、物量はあったもののその分やりがいを感じられるものではあった。集計という大きなしくみ全体を自分に丸投げされたものの、逆に自分のペースでことを運べることができ、同じチームの他のメンバーの作業の影響も受けにくいものだったので、周りを気にする必要もなかった。集計の問題の人物とときおり考え方の違いで議論することはあったが、以前のように泣くほどヒートアップすることはなく、むしろ向こうが「好きにすればいいんじゃないですかね」と話を打ち切るので、言われたとおり好きにやらせてもらった。この人の設計ミスやつたないコミュニケーションの尻拭いを自分がさせられていると考えると気分は良くなかったが、自分のやったことで確実に環境が良くなっていくというのは楽しかった。他チームとの関係改善については、今まで業務で関わった人が多いこともあり、窓口が自分となったときに過去の経緯を聞きつつ「あの人の言うことはさておき実際はこうしたほうがいいよね」というやりとりでだいたいは解消された。問題の人物には「途中で議論を投げ出すと関係性は悪いままだ」ということを議論を投げ出すたびに言い続けたところ、相手の意見を聞く姿勢が少し出てきたように思う。1年ほどかけて Apache Druid を含む使用しているソフトウェアのバージョンアップや集計コストを大幅に削減でき、運用の体制も整い始め、上司からも信頼を得られて昇給もあってと、異動前に想像していたよりは良い状態に持っていくことができ、少し気持ちも上向きになっていた。

 9~10年目、上司とチーム体制が突然変わった。以前記事でも書いたが、自称スクラムマスターと新リーダーによってもたらされたチームの変化は、自分にとっては理不尽かつ負担が大きいものであり、チーム内不和を生む要因となった。集計の運用体制を1年かけて作ってきたにもかかわらず、チームのあり方を変えられたことにより、運用体制も一度白紙に戻され、結果としてこの期間の集計に関する運用はほとんど自分が手を動かすことになった。みんなで開発も運用もできるようになろう、と掲げられて体制が変わったのだが、そもそもみんなが運用できる準備ができておらず、準備のための時間もほぼ取られることはなかった。この体制変更はさすがにマズいだろと指摘し代替案の提案もしたが、検討しますと言われただけで行動に移されたことはなかった。他のメンバーはこの状態に対して声を上げることはなく、自分ひとりが騒いでいるような構図となってしまい、チーム内で孤立した。転職を本気で考えた。新しい環境に対して一定の知識を身につけた自分にとって、このチームに居続けることはもはやメリットはなかった。

 チームに対しての不信感が高まっているとき、会社内で人員募集の知らせを見つけた。業務内容はAWSを使用したクラウドベースのデータプラットフォームの構築・運用といったもので、自分のデータプラットフォームに関するスキルセットと重なるものがあった。これまで実機(オンプレミス)をベースとした環境での業務経験が多い一方で、世の中ではクラウドベース、サーバレスの環境開発が増えてきているので、どこかでこういった環境を対象とした業務を経験しておきたいと考えていた。まさに自身の成長という点においても、この人員募集の内容はとても魅力的だった。すぐに応募を投げてた。1人しか募集していないというのが不安ではあったものの、こういう人材が世の中に少ないということも知っていたので、たぶんいけるんじゃないかなぁとだいぶ楽観視していた。めちゃくちゃ偉い人との面談で少しやらかしたかなと感じる点はあったものの無事通過。募集がかかってから1ヶ月かからずチームの異動が決定するという異例の早さだった。良縁というのを実感したように思った。異動した後どうなるか次第な部分はまだあるけれど、つらいチームを抜けられる、新しい挑戦ができるということが自身のモチベーションを引き上げた。

 そして現在、自分は無事にチーム異動を果たし、新しい環境での仕事ができるようにたくさんの資料を読み進めている最中となる。今これを書いている日が異動して初日なのでまだまだこれからといった状況。前のチームはヘルプで入ったという形だったので、自分ごととしてとらえきれなかったという気持ちも正直あったが今回は違う。上司に当たる人も今回はその名が業界で広く知られている実績をのこし、行動指針について明確な価値基準を明示している人。以前のチームの上司やスクラムマスターのようなことにはならないだろう。チームへの不安を抱くことなく新しいことを学びながらプロダクトの成長に貢献することに没頭できると信じたい。

 長々と3パートに分けて振り返ってみたが、気持ちの浮き沈みが激しく、特に下がるときは急降下していっているなと改めて確認した。主たる原因が環境によるものならまぁ仕方ないとも思えるが、リーダーになったときや成果が思うように出せていない時期とかはまだなにかやりようがあったのではないかと思い返すことが何度もある。自信がなくなったのと同時にどこかで、自分にはできないだろうと無理をしないような振る舞いを続けていたものと感じる。仕事に対して真剣に向き合わない結果、良い循環が生まれず気持ちもなかなか上向きにならなかったのだろう。これを繰り返さないためにも、新しい環境では常に考えることを止めず、自分のできる精一杯を出し続けるようにしていきたい。

 これを書く当初、データエンジニアとして長くやってきて、データを扱う環境がこうなったよね、みたいな話になるかなと思ったが気持ちの面を思い返すばかりだった。改めてデータ周り、特に大規模なデータを対象にした集計環境について振り返ってみると、最初に属していたチームで実施していた集計と、ヘルプで入ったところで実施していた集計は、使用しているソフトウェアが違うだけでほとんど同じような集計を実施しているというのが個人的には印象深かった。ヘルプで入ったところの集計をみたときに、この集計の問題点は5年以上前に自分が設計したときに抱えた問題点とほぼ同じであることがわかり、同時にソフトウェアがいくら高度なものになったと言ってもみんな同じような課題にぶつかるのかと、集計を担当する部門の進歩の無さに落胆したものだった。データの利活用については会社として早い段階で取り組んではいたものの、おそらく設計当初、集計環境について構築や運用を長く経験した人はこのチームにいなかったのだろう。データの集計を長期に渡り構築・運用することは、精神的にもかなり負担がかかる。自分もHadoopのチームに移ったひとつの要因がこの精神的負担だった。扱うデータは大きくなるが、必要なコストは下げなければならない。運用フェーズに新しく入ってくる人にとってはトラブル対応が主な仕事となってしまい、何かを作りたいというエンジニアが残り続けることはほとんどない。業務委託や契約社員のような外部の人を雇う形でつなぎとめることはできるが、いずれソフトウェアが古くなってきたときに対応ができず、止めざるを得ないだろう。データエンジニアとして長期役割を担える人はとても貴重だと思う。だからこそ自分に当初ヘルプが投げられ、新しいチームでも人が必要になったのかもしれない。この領域で頑張り続けることが自分のデータエンジニアとしての差別化できる可能性なのかもしれない。

 ここまですべて読んでくれた人がどれだけいるだろうか。自分の振り返りが主目的なので、読まれることをあまり想定せずに書いており読みにくい部分もあったろうと思う。それでもここまで読んでくれた人にはただただ感謝しかない。こういう10年をみんなはどのように感じるのか聞いてみたい気持ちもあるので、もし筆者と話す機会がある人は、率直な感想を聞かせてもらえると嬉しい。いろんな考え方を知ることで、今後の10年を少しでも良いものにしていきたい。

社会人10年の振り返り(3年~6年)

 前の記事の続きになります。入社してから3年ほどは順調にステップアップできており、成長に応じた仕事の任され方もされ、仕事に対する不満というのはほぼない状態でした。この頃から、所属しいるチームのみならず、周辺のチームとのやり取りをする機会が増え、より広い視野で仕事を見るようになった。ここからの3年が自分にとってひとつの大きな転機だったと感じている。

 データを集計し可視化するチームは自分の所属するチームのみではなく、目的ごとに様々なプロダクトがあり、プロダクトを管理しているチームがそれぞれ存在していた。これらのチームがひとつの部署にまとまっており、アクセス解析ツール開発といった総称になっていた。この部署の中で集計に関するバックエンド環境を一新しようという取り組みが始まり、自分もそのプロジェクトの一員として参加させてもらえた。普段のチームメンバーとは異なり、各チームの集計関連プロダクトの開発・運用実績のある人達が集まっていたので、どんな話ができるのかという期待と、自分はやくにたてるだろうかという不安があいまった心持ちでいた。

 実際にプロジェクトが始動して、古株のエンジニアがリーダー的な立ち位置になりいろいろ相談を進めたのだがなんとも状況がよろしくない。その時の自分は良くない雰囲気を感じ取りながらも何がどうだめなのかというのを明確にすることができず、行動を起こしてみるも空回りというのを繰り返していた。今改めてこの時の状況を振り返ると、プロジェクトに参加したメンバー全員が、バックエンドを一新する必要性については理解があるものの、バックエンドをどういう状態に持っていくのが良いのかということが考えられていなかった。多くのログを受け入れられるようにすればいいのか、それとも集計に関するアルゴリズムを見直してコストを下げるべきなのか、いくつか課題はあがるもののそこに適切に優先順位をつけられておらず、それにより提案が上がっても良し悪しの判断ができない(判断基準が明確ではない)といった状況に陥った。自身の実力不足を知るひとつのきっかけでもあるが、アクセス解析ツール開発にいる古株エンジニアがこれというのもどうなの?という疑問も同時に湧いた。この部門に居続けることへの危機感のようなものをいだいた。

 この状況を見かねてか、隣の部門の方々の協力を得られるようになった。この部門はデータを集約するための仕組みを構築・運用することを主としたチームが集まった部門。ウェブページで発生するたくさんのログデータを、できるだけ漏れなく、できるだけ早く、できるだけ大きな箱に集約し、自分たちのようなデータを集計・解析する人たちがアクセスしやすいように環境を整えてくれている。ここの部門の人たちが非常にデキる人の集まりで、特に「大きな箱」を構築・運用するチームは技術力の高い人が集まっていた。当時では国内でもあまり利用例のなかったHadoopクラスタというのを大規模に運用しており、技術難易度の高い取り組みに果敢に挑んで昼夜問わず仕事をしているような様子から「修羅の国」と他のチームからときおり言われていた。大変なチームだからあそこに配属されたくないと思う人達が多かったと思うが、自分はこのときこのチームに入ってもっと実力をつけられないかと考えるようになっていた。集計についてより深く知るために、データの置き場所になっているHadoopについて知りたい、そう言って半年ほどの移行期間を挟みながら Hadoopを構築・運用するチームに入社4~5年頃に参画する。

 所属して実際にタスクをやってみてわかった。必要な知識の深さ、タスクの難易度、どれも今までと違った。チームの人の協力を常にもらいながらなんとかタスクをこなす日々。さらに運用についても今まで以上に会社内に影響のあるプロダクトを対象としているため、Hadoopの障害が起こったときはチームで一丸となってできるだけ早くなんとか復旧させるというのが求められた。しかしながら、当時のHadoopに関する運用ノウハウはまだ世の中では少なく、ソフトウェアよりも環境に依存した障害が多かったため、問題点の特定とその解消には常に困難を極めた。この時期は本当に鍛えられたと思う。そして同時に自分にとっては恩師とも言える上司との出会いもあった。役職としては上司になるのだが年齢は自分よりひとつ下、しかし仕事の能力で圧倒的な差を感じた。論理的な思考能力に長けており、状況に応じて最善と思われる判断が適切にでき、コーディングなどのエンジニアとしての能力も高く、人当たりもいいので皆が遠慮なく話しかけることができる。大規模な障害が発生したときに30代40代のエンジニア含めた20名ほどを巻き込んで対応について取りまとめたりという実績もあった。多くの人がこの人に信頼をおいており、自分も同じように早い段階から大きな信頼をおいていた。

 Hadoopを扱うチームに入ってしばらくして、上司と自分の評価について話す機会があった。今までの仕事の実績評価に基づいて昇給昇進のような話と合わせて、もっと成果を出すためにどうするのが良いかといった話もされる。そこで自分が言われたのは

「論理的に話をすることが苦手のように見える」

「以前のチームの上司から聞いたんだけど 『ときどき何を言いたいのかよくわからないことがあった』と言ってて、たぶんこういうのも論理的な思考ができていないことが要因じゃないかと思う 」

 衝撃だった。何を言われているのか理解するのに少し時間がかかった。自身の成長課題について今まで考えることはあったものの、全く予期しない方向からの指摘だったのでしばらく固まった。次第に涙も出てきた。以前のチームのメンバーと何でも言い合える良好な関係を築けていると思っていたので、「遠慮なく言ってくれていいのに」という思いと「言えないような距離感だったのかなぁ」という感情が渦巻いてさらに涙が出た。このときに、今までの自分の行動を振り返って、あのときも自分は変な主張をしていたのではないかとか考えるようになってしまい、自信というものを完全に消失した。ただ、この指摘を面と向かって伝えてくれた上司には感謝しかなかった。伝える側の精神的負担も大きいはずであり、以前の上司のように伝えないという選択肢もある中で、きちんと伝えてくれたことが嬉しかった。このときからしばらくはロジカルシンキング関連の書籍をあさったり社内のセミナーとかいってみたりとトレーニングを続けてはみたものの、自分ではイマイチ実感がなく自信もなくなっているので、まだできていないだろうからもっと訓練しないといけない、と考えるようになっていたと思う。論理的思考能力については未だに自分にとって成長の課題となっている。

 5~6年目、HadoopやHadoopの周辺技術について学びつつ、構築・運用の業務を続けていた。Hadoop関連の知識は底が見えないほど深く、それでいて常に新しい技術が入ってくるため徐々に広くなっていく。Hadoopというソフトウェアの理解だけでも大変というなかで、新しく大規模なHadoopクラスタの構築という大きな仕事が始まった。これはデータセンターにおけるサーバ・ネットワーク構築といったインフラの内容も含んでおり、インフラ周りの知識についても身に付けなければならないプロジェクトだった。インフラを専門にしているチームはあるものの、必要なサーバ・ネットワークスペックや、どこにどれぐらいのサーバを置くかといった設計はこちらがやらないといけない。Hadoopクラスタの構築はチームとして経験はあったものの、規模が今までより大きく、扱うHadoopのバージョンが違うなど、初めて取り組む範囲も広かった。自分以外のプロジェクトメンバーはインフラに精通している人が多く、自分はただただついていくことがやっとだった。新しい知識を得ることは楽しかったが、予想と異なる事象が発生したときに、適切な判断や行動をすぐに取ることができず、躓いたらとにかく聞くしかないといった状態。不甲斐なさを痛感していた。

 そんなとき、このプロジェクトのプロジェクトマネージャーと設計関連で話をしているときに意見の対立が発生してしまいお互いに感情が高ぶった状態になった。相手が持論を並べて「この設計が理想だ!」と言い切った後、自分は相手の言いたいことはわかるが実際の状況を踏まえた上で理想の状態にはできない、妥協点を模索しないといけない、ということを主張しようとしたのだが、うまく言葉が整理できず少しの間黙ってしまった。これが相手の怒りをかってしまい相手はさらに言葉をまくしたてる。自分もどうにかしなければと感情が更に高ぶったときに、涙が出ていた。自分でも驚いたのだが、相手も驚いたようでお互いに何も言えなくなり、自分は一旦トイレに駆け込んで感情の整理をしようとした。笑い上戸で笑ったときによく涙も出るなと思ってはいたが、どうも自分は喜怒哀楽の感情が高ぶると涙の形でまずは出てしまうらしいというのをこのときに学んだ。プロジェクトマネージャーとはこの後きちんと和解でき、今でも顔を合わせるときは笑って話ができる間柄となっている。実力的にも他のメンバーと比べ劣っていながら、精神面でも脆さがあるなと感じ、今後このチームでやっていけるのかと不安をいだいていた。

 人からの印象というのはなかなか聞く機会がないもので、社内の人事的な仕組みによって上司と部下の間では定期的に話す機会があるものの、チームの中ではそれなりに関係性ができていなければ聞くことはできない。ましてやチーム外からコメントを貰うというのはさらに難しい。コメントを得られたとしても抽象的な内容がほとんどだろう。自分が以前アクセス解析ツール関連の部署にいたときに少しお世話になった偉い人とひょんなことから話す機会があった。このときに偉い人は自分に

「なんだか静かになったね」

とひと言まず言ったのがとても印象に残っている。どういうことですか?と聞いてみると

「以前はいろんなところに顔を出しており、いろんなところで君の名前を聞いたが、最近はそいうのが少なくなったように思う。」

悪くなったと言いたいわけではなさそうで、ただそのように感じたというのを伝えられた。言われたことを考えると、顔を出すコミュニティは以前に比べて減っており、今のチームでは目立った成果が出せていないことで自分の名前が上の人に広まることもない。偉い人の耳には確かに自分の情報が入りにくい状態になっていた。ここで更に気づいたのは、面白そうなことがあればとりあえずやってみるというのを以前はやっていた、やろうと思うモチベーションがあったのだが、今は似たような企画があってもモチベーションが上がらず手を上げることはしないようになっていた。気持ちが下向きになっていることが行動にも影響を与えており、人からの評価という面でも影響を与えていたことを実感した。目の前のタスクをこなすことに一杯一杯であったため、悩むような余裕はなかったが、気持ちが以前のように上向きになることはしばらくなかった。

 3年目~6年目の出来事について思い返してみた。書き出してみるとやはり印象深いことが多かったからかだいぶ長くなってしまった。今の自分を自分足らしめている出来事がこのあたりにあったなぁと改めて実感している。やはりこの時期はつらかった。自分で選んだ道ではあったものの、想像以上に精神的にきた。もし体力もなかったらたぶん倒れてたんじゃないかと思う。残り4年ほどはおそらく一気にかけると思うので、振り返りの記事としては次で最後。

社会人10年の振り返り(初年~3年)

 今の会社に新卒入社で入って10年ほど経った。いい区切りでもあるので社会人になってから今までを少し振り返ろうと思う。まずは今の会社を選んだきっかけから社会人3年くらいまでを思い出して書いてみる。

 大学で時系列データから情報を読み取るといったことをしていたので「データが見たい」と就活ではよく発言していた気がする。書類選考や初期段階の面接は突破するものの、終盤の面接で自分はこれがしたいってことを言いまくったらだいたい落ちた。それでもめげずに頑張ってようやく採用してもらえたのが今の会社。というかこの時期にデータ解析について取り組んでる企業がほとんどなかったというのが背景にあるのかなと今となっては思う。マイクロソフトとか楽天とか、当時選考で残ってた企業でそれなりにデータを持っているところしか残ってなかった。

 入社して研修も終わり、最初に配属されたチームはサービス内の検索ボックスで検索されるときに発生するログを集計し可視化する社内向けプロダクトの開発・運用をするチーム。データを扱う部門に配属されたのは100人ぐらいの新卒のうち自分を含めて5名ほど。他の同期はわりとざっくりした開発チームにまとめて配属とかになっていたので、データが見たいですと面接で言い続けてよかったと実感した。配属されたチームは自分を含め6名ほどの構成で、先輩方は比較的若い方が多く、30代のエンジニア1名を除くとほかは20代の方しかいない。年齢が近いこともありとても話しやすい環境だったのは、新社会人の自分にとってとてもありがたかった。

 大学でデータを集計して可視化することはすでに経験していたものの、このチームで扱っているデータの規模は大学のそれとは比較にならないほど多い。ただ足し合わせるような簡単な集計でも普通にやると数時間かかってしまうので、並列分散処理の仕組みをうまく使わなければならず、この辺の知識を身につけることに最初は苦労した。データベースに関する知識についても、少ないデータ量で使用するのであれば細かい設定を気にする必要はなかったが、このチームで取り扱うデータ量では安定稼働させるための細かいチューニングが必要だったり、さらに深い知識が必要になった。同時に、開発経験があるといっても書いたコードの量は多くなかったので、チーム内ですでに出来上がっているシステムの理解や、日々上がってくる改善コードの理解にも苦労していた。それでもやりたいことができているという実感だったり、新しいことを覚えるのが楽しいと感じることが多く、ただただ目の前のタスクをこなすことに充実感を得ていた。

 勤めている会社の社員が数百人いたこともあり、仕事に関わらず社内にはさまざなコミュニティが存在する。仕事以外での関わりももっておきたい、いろいろとやってみたいと当初思っていたので、テニスやフットサルのスポーツのコミュニティ、勉強会のようなコミュニティ、ぷよぷよなどのゲームコミュニティに参加して、休みの日にチーム以外の人達と交流したりしていた。この交流のかいあってか、比較的広く名前を覚えてもらえて、仕事の会議でコミュニティの人と偶然出会うといったこともしばしばあった。今思えばかなり活発に動いていた。1~2年目で知り合った方を通して貴重な体験をさせてもらったり、いろんな話をして価値観の共有ができたので、この時の活発な行動はやっててよかったと振り返ってみて強く思う。

 同じチームで2年ほど過ごし、社内プロダクトについて理解が深まってきたところで、ある程度大きめのタスクも任されるようになった。当時担当していた社内向けプロダクトを規模の拡大などに対応するためリプレイスするというプロジェクトが進んでおり、その集計部分に関するシステム設計を任された。また、コード管理に当時はSubversion(SVN) が使用されていたが、より管理がしやすいと話題になっていたGithub に移行したいですと自分が提案し、この移行プロジェクトについても自分が任される状態となった。プロダクトを0から作ることや、コード管理システムの移行というのは初めて取り組むことだったので、今までやっていたタスクとは一味違い、何が正解なのかわからない中で、手探りでやらなければならないという難しさがあった。先輩とたくさん相談し、ああでもないこうでもないと頭を抱えたのをよく覚えている。

 当時の自分の精一杯を詰め込んだ設計はなんとか認められ、Github への移行も大きな問題は起こらず、リプレイスのための実装がある程度進んだときに先輩から「Github でのコードレビューしやすいね。移行してよかったよ」と言われたことがめちゃくちゃ嬉しかった。設計については実装が進むにつれ「ここはこうじゃないか?」と見逃していたものがいくらか発見されたものの、大きなトラブルも起こらず実稼働までこぎつけることができた。大きなタスクの成功は大きな達成感を得られるだけではなく、昇給など目に見える形でも返ってきた。大きなタスクに限らず日々の運用業務なども含めた自身の働きにより、このチームにおける自分の存在意義を見出したような感覚があり、このチームに自分はなくてはならない存在になれたのではないかと考えていたと思う。このときのことを今思うと、かなりポジティブ思考になっており、悪く言うと調子に乗って若干天狗になっていたかもしれない。

 まずは就活から3年ほどをざっくりと思い返してみた。細かい出来事はだいぶ端折っていますが、仕事においては、目の前のタスクをこなし続けることに集中した時期だったように思う。仕事が楽しいと感じており、気づいたら深夜残業してたということもよくあった。仕事以外でもいい形で人とのつながりを職場で作れていたので、悩みというものを抱えていなかったと思う。とてもいい時期ではあったものの、自分がここ10年で特に印象に残っている時期はこの3年ではなく、この後の3年のほう。この後はさらに長くなると思うので今回は一旦ここで区切る。

2021.09.25 テニスの記録

定期的にテニスを予定しているものの、天候や他の予定が重複したことによる振替などで最近は1ヶ月近くテニスをしていないということもあった。これだけ期間があくと以前スクールで教わったこと・指摘を受けたことを忘れていたりしていたので、テニスをした後はできるだけ言われたこととか印象に残ったことを残すようにしたいと思う。

今日はサーブが好調だった。以下の3点の意識がしっかりできてたことが要因と思う

  • 膝をしっかり曲げ地面からの反発力をボールに乗せる
  • トスを丁寧にし、もしぶれたらちゃんとやり直す
  • ボールのインパクト時のラケットの面の向きに問題がない状態にする

フラットサーブの調子が比較的良かったのでセカンドのスライスサーブを試す機会が少なかった。

ラリーにおいてコーチから指摘を受けたこと

  • 後ろの足のためを意識することでボールに力がさらに乗る
  • 前に出手から打つ動作をするときに前傾姿勢になっておりラケットの振りが安定していない

自分のショットがどうも弱くなる傾向があったので、後ろ足のためについて今後気にするようにしてみる。前傾姿勢については以前も指摘を受けた部分なので、繰り返さないようにしたいが、ボールを追うことに必死になって意識から外れてしまう。思考にもう少しゆとりができるように体力もつけていきたいところ。

テイルズオブアライズやったよ

 発売から約2週間、ストーリーをクリアしたのは 9/17でだいたい70時間ぐらい。これに加えて裏ボスやらトロフィーコンプをしたのが9/22でだいたい80時間ぐらい

 ヴェスペリアやグレイセスと比べると、サブイベント込みの内容量は少ないなって印象ではあるものの、ゲームをし始めるとやめ時がわからなくなるほど熱中して遊べるいい内容だった。謎が謎を呼ぶといった感じで、最初は謎が多いままではあるものの、進めるたびに少しずつ分かってくると同時に新たな疑問が生まれてきて、またそれが気になって先を進めたくなってというのが繰り返し終盤まで続いて、あんまり夜ふかしはしないつもりでいたもののいつの間にか深夜の2時ってことがよくあった。めっさ引き込まれる感覚がとても楽しい。

 世界観を理解するためにたくさんの聞き慣れない単語が出てくるのに、世界観の理解に苦しむといったことはなく、自然と理解できるようになっているのは没入感の高さから来ているものかもしれないが、とてもよく調整されているものと思う。まぁすでに忘れてしまっているものいくらかあるかもしれないが、それでもストーリーの全容を理解するのに必要な情報は適度に理解しやすいタイミングで散りばめられているのだろう。もしくは、真実がわかったときの驚きや楽しさが上回り、覚えることを苦にしていないのかもしれない。情報過多で苦しむといったことが無く、ストレスなく進めることができた。

 最初は謎めいた部分が多く特殊な世界観の中で繰り広げられる感覚があったものの、中盤からは王道のRPGだなぁと感じるようになっていた。そう感じさせたのは、アルフェンの性格がひとつの要因だったのかなと思う。ファンタジアのクレスを彷彿とさせるような真っ直ぐさ、生真面目さがあって、味覚音痴だったり武器防具に目がないような面白い一面もあり親しみやすい。また、愛する人の苦しみを消し去るために敵と対峙する構図もジャンプ漫画みたいだなと感じて王道と思う要因になっているのだろう。王道がなんなのかといった部分は自分でもだいぶあやふやではあるものの、テイルズオブアライズを一言で表現してくださいと今言われたら「王道のRPG」といってしまいそう。そろそろ王道がゲシュタルト崩壊してきた。

 戦闘が楽しいんだよなこれ。雑魚敵相手ならいくらでもコンボが続けられそうなほど技を繋げられるし、倒すときはかっこいい協力技(ブーストストライク)でド派手に決めて、次の相手にはカウンターレイドで瞬間移動して攻撃を継続、戦闘開始から終了までの爽快さがたまらん。ボス戦はうってかわって相手が怯みにくいため、ヒット・アンド・アウェイを繰り返し、ダウンしたすきを狙ってアルフェンのフラムエッジで大ダメージを与えたり、ひたすらみんなで殴りまくってダメージを蓄積させる。大勢が崩れないかどうかハラハラしながら戦ってたなぁ。

 ただちょっと戦闘では気になることがいくつかあって、前衛2人にしたとき操作していない方の前衛がよく倒されてしまうということがあったため、中盤からはアルフェン、シオン、ティオハリム、リンウェルの4人でほとんど戦闘してたんよな。これによって戦闘に出ていないキャラクターの技の習熟度があまり上がらず、特にキサラは100レベルに上げたあとになっても新たに技を覚えたり戦闘に関する称号が取れずに残るといった状態になってた。自分がもっとうまく操作してればキャラクターの格差は防げたんだろうなと思いつつも、戦闘が大変になって高価なグミを使い切ってしまう状態が怖かったのでキャラクターを変えられんかった。戦闘中にキャラクターを変えられるエクシリアみたいな仕組みがあるともうちょい出さしてあげられたとは思う。

 他に気になった点として、秘奥義のあとにコンボを継続することが困難なところかな。秘奥義を放ったあと相手と距離が空いてしまう状態からリスタートとなるため、コンボを続けるためには距離を詰めるまでにブーストアタックなどでコンボが途切れないようにしないといけない。戦闘の爽快さが良いだけに秘奥義後の間がより目立っているのではないかなと思う。

 まぁ気になるといってもここまですごく楽しいものが出来上がってるからこそ気になっているってことであって、100点満点で採点してくれと言われたら95ぐらいはつけると思う。残り5は欲張っていいならここをこうして欲しいなって感じ。テイルズを今から始める人がいたら、これからはアライズを全力で勧めるやろな。

 トロフィーコンプ、称号コンプ、修練場もすべてクリアしたので、あとは攻略本が出たときに周回プレイしてみるかなといったところ。余裕があれば琴葉姉妹使って実況動画とか作ってみたいなとも思ってる。いやぁ5年待ったかいがあった。