「父親たちの星条旗」をみたよ

 あまり内容について深く書くつもりはないですが、ネタバレしたくないという方はご注意ください。

 第2次世界対戦中に硫黄島にて撮られた1枚の写真に映った兵士たちが、英雄と讃えられながら国中に「戦争で勝利するために国債を買ってほしい」と訴えかけつつ、回想で硫黄島での激戦がどれほど過酷なものだったかを描写するという内容の映画。モデルとなっている写真は実際に存在するもので、劇中でも描かれている「星条旗を掲げた6人はだれなのか」というのが、2019年に更新されるなど調査が長期に渡り続いていたりもする。

 自分がこの映画に興味を持っていたのは、ひとつの出来事をアメリカ側の視点、日本からの視点、それぞれで別の映画作品として完成させているということが気になったからだ。戦時中の出来事について、戦闘機などもともと興味を持っていたということもあるが、映画といえば単品で完結するものというイメージを持っていた中で、はっきりと2方向の視点からそれぞれの作品として出すよと宣伝されていたのが当時の自分にとってはとても印象に残っていた。印象に残ってはいたものの、映画をみることをずっとしていなかったので、当時の映画への興味は思っていたよりもなかったのかもしれないが。

 個人的に洋画をみるときによくあることなのだが、登場人物の顔と名前が一致しないというのが今回もいくらかあった。というのも、最初の語り手は硫黄島で星条旗を掲げたとされる兵士の息子で、劇中何度も戦時中の父親の視点から英雄として国中をまわるシーンが描かれ、更に硫黄島で戦闘中の出来事を思い出すといった描写が繰り返される。特に硫黄島での戦闘中は、ヘルメットや装備などもあり見た目で誰なのかを判別するのが非常に困難だった。「エベレスト」でも似たような感覚を味わったが、こういったところは洋画をいくつかみて慣れていくしかなさそうだ。

 硫黄島での戦闘のシーンは迫力があった。記録にもあるように、日本兵約2万人が硫黄島で防衛しているのに対して、アメリカはその10倍以上の25万人という勢力で落としに来ている。数によって制するというのを、引きの場面で映された艦隊の数、上陸する船、車の数というのが表されており壮観だった。加えて空からは逆ガルウィングが特徴の戦闘機F4U「コルセア」が襲撃し、日本側が勝てる見込みは一縷もないと思える。しかし実際は日本側が1ヶ月以上粘ったというのだから驚きだ。長期に渡る戦闘についてあまり描かれてはいなかったが、メインとなる登場人物が上陸兵なので、戦闘初期の歩兵戦の激しさが多く描かれている。星条旗を掲げたのは戦闘が完全に終結したあとというわけではなく、むしろ星条旗を掲げてからのほうが戦闘期間としては長い(約30日)。

 そして星条旗を掲げた6人のうち3人が英雄として祭り上げられ、政治家からは戦争のためのお金を集めるための広告塔として様々な場所を訪問しスピーチする。まわりからは英雄と言われるが、戦って亡くなった戦友に対しては申し訳なさにも似た自己嫌悪のような感情が募る。現地で戦争を経験した人とそうでない人との感情の差というのは、一度始めた戦争によって戻れないなにかを象徴しているようだった。

 史実を元にした映画は、観終わったあとに気になったことについて調べると情報が出てくるというのが、知的好奇心をさらに満たすことができ楽しい。今回も「こんなことが実際にあったのか」という感想でだいたい満たされるのだが、硫黄島攻略になんでそんなに苦労したのだろうかとか、実際の写真の画像はどんなものかといった興味が時間をおいてから湧き出てくる。そして調べれば調べるほどさらに知りたいことが増えていくという循環が生まれる。メインで登場していた語り手の父親「ドク」が星条旗を掲げ生き残った1人として描かれているものの、2016年の調査報告により実は写真に写っていなかったのだと知ったときは驚いた。あれこれ調べるにつれ最終的に「硫黄島に行ってみたい」といった思いを抱くようになるのだ。小笠原諸島にはもともとダイビングに行きたいとも思っていたので、可能なら合わせて硫黄島にも行ければなとまずは卓上旅行に花を咲かせたりする。

 監督、俳優、表現方法など、映画を論じる上で取り上げられるであろう内容は、自分の映画に対しまだまだ勉強不足なので、他のサイトを参照されるのがいいだろう。史実を映像で紐解くひとつの資料としてなら、この作品はとてもいいものだと自分は感じている。今度は日本側からの視点で描かれた「硫黄島からの手紙」を、時間を見つけて見ようと思う。

 

 

健康診断を受けたよ

 健康診断の予約が遅れたために、予約できた時間が8時台とかなり早い時間帯となってしまった。また、胃カメラの診察を経鼻からのものを受けたいと思っていたので、そもそも選択肢がある程度限られた状態だったので、健康診断の予約は始まってすぐに実施するべきだった。7時前に家を出て電車に揺られて、実施場所に移動したときには、朝食も食べていないこともありヘロヘロの状態だった。早く終わらして雨がふらないうちに帰りたい。

 クリニックについて検査着に着替えて、最初に血圧の測定。そこで最高血圧約80、最低血圧約60といった極端に低い数値が出た。さすがに看護師さんもおかしいと感じて再度測定してもらうと平常値が記録された。測定の何らかのミスとは思うが、一度そういった数値が出てしまうとなにか体調がまずいのかと不安になってしまう。あまり幸先の良くないスタートだった。

 血管は見えやすい方ということもあってか採血は特に問題なく終わり、腹部の超音波検査。これが検査項目の中で苦手。腹部にジェルを広げながら検査器を当てるわけだが、痛くすぐったいのが数分続くので顔を歪ませてしまう。肋骨あたりをぐりぐりするの本当にやめてくれ。身長は昨年から1cm近く縮んでた。毎年縮んでる気がするんですが大丈夫ですかね?体重は2~3kg増えてたと思う。体脂肪率は10%程度でこれも前回の記録を覚えてないため差がわからないのだが、不健康な変化はないと思う。日々記録したほうがいいとは思うがなかなか実施できていない。胸部レントゲンや心電図をとったあとに視力を測ったが、メガネを掛けた状態で両目とも0.6だった。メガネを買い換えることを考えたほうがいいかもしれない。そして眼圧測定なのだが、下に伸びるまつげがどうも長い、あるいは目が細いことから、何度も空気を目に当てられてつらかった。

 そして自分にとって不安な検査のひとつ、経鼻からの内視鏡検査の準備が始まった。まず鼻にむくみをとるための薬品をスプレーされるのだが、スプレーの勢いが強すぎる。薬品と一緒に空気も鼻から喉にかけて一気に送られるのでむせた。そのあと麻酔のジェルを鼻から入れられ、内視鏡の通るスペースを確保するための細いスティックも同時に差し込まれた。鼻からスティックが長く伸びた状態で暫く過ごさなければならず、かなり間抜けな図になっているだろうなとか考えてた。鼻からのどにかけて麻酔が効いてきて、つばを飲むようなことがしづらいので、全部ティッシュで拭い取る。数分後、看護師さんにつれられて機器のある部屋で横になり、カメラを鼻からゆっくり入れられていく。麻酔しているとはいえ何かが鼻から喉、体の中へとはいっていく感覚がありなんともいえない不快感がこみ上げる。胃の内部をみるために空気もおくられているので、ゲップが出そうになるが耐えろと言われる。実験のモルモットの気分とはこういうものだろうかとか考えてなんとか紛らわそうとしたが難しい。カメラで映っているものを自分もみることができるが、善し悪しがわからないためなんともいえない。とりあえず素人でもわかるような傷とか出来物とかはなさそうってぐらい。1時間ぐらい弄ばれた感覚があったが、たぶん実際は10分から20分ぐらいだったと思う。長い管を花からゆっくり引き抜かれ、つらい検査も終わり、ようやく自由になれた。

 麻酔が切れたあとに飲んだ水が美味いのなんの。朝から何も口にしていなかったので、検査の後のランチが格別うまかった。しかしこの日の健康診断はこれでおわりではない。今回初めて脳ドックを受けることになっているのだ。福利厚生で費用が出ると聞いたので、念のため受けておこうと申込みをしていた。費用は約3万、めっさかかるやん。脳ドックを受けられるところは施設の場所が異なるので、ランチのあとに施設に向かった。脳ドックでは食事制限は特にないとのこと。もし制限があったらどれだけ長い時間空腹で過ごさなければならなかったことか。

 雨の中の移動を強いられ気分が落ち込み気味となり、しかも脳ドックを受ける施設の隣の建物に誤ってはいってしまい恥ずかしい思いをしてしまった。この出来事が脳ドックの結果に影響出たりするんやろうかとか考えつつ、MRIの説明を聞く。とにかく貴金属類は持ち込むなよ、絶対にだ!という注意を何度も受けた。検査用の服に着替えるのかと思ったが、そのままの服で良いとのこと。わりとラフな格好でうけられるのね。機械の上に寝転んで、頭が動かないようにクッションとかいろいろつけて、うるさいからとヘッドホンもつけられた。ヘッドホンからは曲名はわからないがおそらくジブリ関連のアレンジ曲が流れてた。検査が始まり機械の中に横になった台が入っていく。なにもないと思いながらも、こんなところに放り込まれれば多少は不安になったりするもので、何度も事前に確認したのに貴金属とか持ってないかと気になった。MRIに張り付く消化器の画像とか思い出してしまったり、最悪の光景を勝手にイメージしてしまう。それでも少しすると慣れてきて、曲を聞きながら今日はこのあとどうするか、帰ってから仕事はするけどどれだけ時間がとれるか、どんな手順でやるかとか考えてた。真面目やな。あと、古典部シリーズの小説の続きを読み始めてたので、読み進めた内容から今後どうなるのかと考えたりもしていた。MRIの中はたしかにうるさい、しかしヘッドフォンとBGMのおかげで、耐えられないほどではなくなっていた。検査自体は20分ぐらいで、内視鏡の検査に比べればずっと楽なものだった。どんな結果が出てくるのか全く予想がつかないので、妙なものが出てくれるなと祈るばかり。 

 検査結果は早ければ年末、遅くとも1月中には来るだろう。健康体のつもりでいるが、いつまで健康体のままでいられるか。年末年始に暗い顔をしていたら、検査結果が悪かったのだろうと察してもらえればと思います。

 

 

小樽旅行記Part2の動画をあげたよ

 おたる水族館に訪れたときのレポートを約10分の動画で作成しました。旅行2日目をひとパートにまとめようかとも思ったんですが、30分を超えそうなので区切ることに。水族館の中で話したいことはたくさんあったのだが、動画中で話すには適した写真がないといったことから、選択肢はだいぶ限られてしまった。スマフォの容量とか気にしてちょっと写真をとることを渋ってしまったことが本当に悔やまれる。水槽の写真と、解説とかの文面がのった写真、双方をしっかりと収めておかないと、いざ動画にしようと思うと素材として情報が足りなくなってしまうというのを痛感した。今度また行って改めて写真や動画を沢山撮ろう。こういうのしてると良いカメラが欲しくなって散財するんやろなぁ。

 以前ブログで思い出せることは書き残したつもりではいるが、5時間ぐらい見て回ったものに対して、残せる情報というのが本当に少ないと改めて実感した。写真や動画として残しているものが少なかったというのもあるかもしれないが、文章として書き起こしてみると、記憶というのがいかに抽象的な状態でしかとどめていられないのかわかる。覚えることが個人的に苦手というのもあり、よりあやふやな記憶になっているのだろう。今回のことに限らず、忘れてしまうことがもったいないなと思うようになってきたので、まずは写真だけでも多く残し、より鮮明に見たことや感じたことを思い出せるようにしていきたい。

 ブログでは動画を載せていなかったので、作成した動画の中で紹介できたことが個人的にはよかった。遠出したときの写真や動画を半永久的に保管しようと思うと、どのサービスを利用するのがいいのかいまだに悩んでいる。自前のハードディスクに残してはいるが、わざわざ2つに分けて冗長構成をとったりしていないので、ハードディスクが死ぬとけっこう色々死ぬ。iCloud, DropBox は容量制限があり拡張するにはお金が必要。写真や動画のみであれば、LINEのアルバムに残すというのも選択肢としてはありそう。今度友人に写真や動画などのデータをどのように保管しているか聞いてみるか。

 次回は鰊御殿とか総合博物館とか、社会見学っぽい内容になると思うので、楽しんでみてくれる人は減りそうな予感。見てて飽きないようにするのってやっぱ難しいな。

第2回ボイロトゥーンCostCupで全敗したけどどちゃくそ楽しかった

悔しいぃ!!楽しい!!

ボイロトゥーン勢の祭典、第2回ボイロトゥーンCostCupに参加してきました。

 自分が(形だけの)主将となり、大会出たいよと表明してくれている方から、Ganmaさん、くいんずえあさん、もすおさんに打診しチーム結成!ボールドマーカー7使いの主将なので正直断られることも覚悟していたのだが、2つ返事でOKと言ってくれたのが本当に嬉しかった。それだけに、チームを引っ張るような活躍が当日できず、本当に申し訳ないと思うばかり。強くなりてぇなぁ。

 チームを組んでから、自分以外がCeVIO AI のささらちゃんを使用しているということに気づいて、チーム名をささらちゃんに関連せるものにしようという流れになり、その結果生まれたのが「主将のささらちゃん購入RTA」というチーム名。1勝したら自分がCeVIO AI のささらちゃんを購入し、さらには倒した相手チームのメンバー全員にもCeVIO AI のささらちゃんをご購入いただくという公約を込めた名前だ。チームのタグとして、ささらちゃんを購入済みの3人はSSRのタグを、自分はRTAのタグをゲームプレイヤーの名前としてつけていた。このSSRというのは、ささらちゃんの名前だけでなく、「S:主将の、S:ささらちゃん購入、R:RTA」というチーム名にも関連しててとてもエモい。スーパーシークレットレアなメンバーという意味もついててこのタグは個人的にとても気にっている。

 大会前までに何度か練習リグマや対抗戦をやらせてもらって、チームの戦い方は主にGanmaさんか自分が凸れたときに一気にカウントを稼ぐという戦い方がメインとなった。もうおわかりだろう。自分のウデマエよりもはるか高みにいる人達を相手にする大会で、Ganmaさんはともかく、自分が凸れる可能性がどれだけ薄いか。対抗戦で負け越しを繰り返したことで更に実感し、大会当日も開始時間前までできるだけ時間をとって感覚を高められるように持っていこうと努めた。しかしこの短期間で乗り越えるにはあまりにも高すぎるハードルだった。

 大会本番、初戦は驚異的な突破力をもつN-ZAP使いのループさん、安定感のあるダイナモ使いのごはんさん率いる「らいちょうの里+α 女装ピンク髪ロリ人妻のお腹」チーム。チーム名とは裏腹に、堅実で安定感のある戦い方のできるチームだ。ループさんの突破力を警戒してはいたものの、一度崩れた体勢を再度立て直すことができずストレートで負けてしまった。ルーザーズのトーナメントに移行し、次にあたったのはぬくもりさん率いる「麺ヘラ型アル中爆撃機 M-3.14159265359」チーム。エリア、アサリともに、最初はリードできていたものの、守り切ることができずともに逆転負け。とても悔しい負け方だった。あぁしておけばよかったとか思い返す場面が多く、実力不足を大きく実感した。

 自分たちの試合が終わり、1勝もできなかったこともあり少しチームの雰囲気も落ち込んだ状態になったが、大会を終えたチームが続々とDiscordのひとつの部屋に集まり、大会でマッチングしなかったいせえびさんが主将の「ブキランダム(1種類)でも大会に出たい」チームとエキシビジョンマッチを行うことになり、またチームが盛り上がった。これで勝てれば晴れてささらちゃん購入RTAが完結できる、そう意気込んで望んだが、2本先取されてしまい大会のルールだとそこで終了だ。しかしこれは大会後の後夜祭、更には自分が部屋を立てていたこともあり「ここは3先で勝利ですから」などとのたまいながら試合続行。みんなものってくれて、その後ひたすら試合を回し、「さとうささら」の文字数にちなんで、自分のチームが6勝したら完走といった流れになった。そしてこの6勝がなかなか遠かった。無事完走したときには日付もまたいでおり、1時前ぐらいまでかかった。ボールドマーカー7から他の武器にした途端勝ったりしたのが、腑に落ちないながらもおもしろかったりした。レギュレーションとかガバガバだがまずはRTA完走できて何より。

 そこでプラベは終わらず、ここからはメンバーもシャッフル、運営だったrayさんや望ナイルさん、efさんやしゃごぞうさんといった大会参加者も交えてゲームして、23ステージすべてをやりきりようやく解散。ここまで長く遊ぶと誰が予想したか。まぁだいたい自分のせいなんですが。最後はみんな疲労の色を隠せないような感じだったけれども、自分はめちゃくちゃ楽しかったです。

 おわりに、今回一緒に大会に参加してくださった、Ganmaさん、くいんずえあさん、もすおさん、みなさんには感謝してもしきれないほど支えてもらいました。本当にありがとう。これからもリグマやプラベなど一緒に遊んでもらえると嬉しいです。また、エキシビジョンマッチからそのままプラベで一緒に遊んでくださったみなさん、好き勝手に進めて長い時間つきあわせたことに申し訳ないと思いながらも、本当に楽しい時間だったことに顔のにやけが止まりません。本当にありがとうございます。最後に貴重な機会を準備してくださった運営のみなさん、大会準備、進行ともにお疲れさまでした。運営のみなさんのおかげで自由に楽しくみんなと時間を共有できました。本当にありがとうございます。

 余談ですが、大会当日の企画で、キルクリップ集に使用された、たつこさん作の曲の名前を考え投稿するというものがありました。これになんと、自分が投稿した「SquidFantasista」が採用されました。プラベで遊んでいる最中に決まり即座に気づけず、他の方から教えていただいたときにめっさ驚いてました。これでこの曲の使用権を得られたとのことなので、大会動画やその他のスプラ動画で何かしら使いたいと思います。選んでいただき本当にありがとうございます。

名前に込めた思いとしては以下の通り。いつか自分がファンタジスタになれることを願いながら、今日はここで筆を置きたいと思います。

イカのファンタジスタ(高い技術を持つ天才)の意味
大会でヒーロー、ファンタジスタが生まれることを願ったタイトルです

大会配信

https://youtu.be/M-_8OX2oJgY 主催者(たつこさん)
https://youtu.be/83wztKELazA 運営1(.rayさん)
https://youtu.be/dpd3edP-EOY 運営2(望ナイルさん)

雨降ってなんとやら

この記事は「職場で困る年上とのやり取り」の後日談になります。

 朝の通勤列車を降り、横殴りの雨の中出社。在宅勤務が中心になってから一番避けていた雨の中の通勤だが、大事なオフラインのミーティングがあるからとのことで、雨にも負けず頑張って出社した。ミーティングの内容がチームメンバーとのいざこざに関することだというのだからさらに気分が滅入る。朝からメンタル的に死んでた。

 出社してしばらくして、自分と揉めた人(Bさん)が出社してきて、目があったので軽くお互いに会釈。どうやら無視されるようなことはないらしい。

 問題のミーティングは午前中から実施された。集まったのはリーダーを含んだチームメンバー全員と、技術顧問をされてる偉い人。事前にリーダーがメンバーと個別に話してまとめたトラブルの概要と問題点と思われるところについてまとめてくれていたため、一通り読み上げる。大きな齟齬はない。しかし自分が一番気になっているのは、Bさんの感情的な部分で、この点についての言及はない。そこで「確認させてほしいことがあります」といって切り出した。

「あの日の話し合いの時間帯のみで、会話を遮断するほどの感情の高まりがあったのでしょうか?それとも以前から思うところがあり、あの日たまたまピークに達したのでしょうか?」

Bさんは落ち着いた様子でつらつらと話しだした。話しながら自分の中で整理しているようにも見えたが、大まかな内容としては以下の通り。

  • 答えとしては後者で、思うところが以前からあった。
  • 今あるデータプラットフォームは主に自分といまチームにいない人が中心に築き上げたもので、そこに対して責任と自負がある
  • 10月頃、3年後のデータプラットフォームについて話してもらったが、今の環境がダメだと否定されているように感じた
  • コードレビューの相談において同様に否定されていると感じ会話を遮断したが、今では行動として良くないものだったと考えている

 「申し訳ない」とたくさん言われた。社内のSlackに煽りともとれるような書き込みをしていたので、キツい返答もある程度覚悟していたが、少し予想外な返答であった。問題があった日から、誰とどのような会話をしたのかは知らないが、自分の行動について悔いているように見えた。これに対して自分は「10月頃の話について、当時自分はチームに所属したばかりでここの現状のデータプラットフォームについて詳しくは知らない。そのため、否定すること自体が難しい。3年後のプラットフォームはあくまで自分の経験をベースに話したものであり、否定的な意見を述べたわけではない」と伝えた上で「意図していないとはいえ、否定的な印象を与えてしまったことと、それに気づけなかったことはこちらとしても申し訳ない。今後同様のことがあれば遠慮なく話してほしい」と伝えた。リーダーが思う進め方と少し異なる形にはなったが、自分は一番気になっていたことが明瞭になり、かつ今後はこうしようという着地点について話せたことで6割ほど満足していた。

 残りのミーティングの時間は、細かい事実確認や、チームとしてこうしていこうといった認識の確認が行われ、最後に静かに見守っていた偉い人からこんなことを言われた。

「当時作られたものは、その時の最適・最善を満たすものであるが、時間の経過とともにまわりが変化し、適切でない(追いついていない)部分が出てくることはしかたがない。改善を促すのはいいが、これまで築かれたものや築いた人に対しリスペクトを忘れないように。」

「意見がぶつかることはむしろガンガンやってほしいが、正しくぶつかり合おう」

 今回の件で自分は、言葉尻におそらく「これまで築かれたものや築いた人に対しリスペクト」が欠けていたことで、Bさんのアクションを引き起こしてしまったのかなとも思うので、この点については今後気をつけながらコミュニケーションをとっていきたい。ミーティングのあとチームメンバーでランチして、ブラックフライデーで何を買ったとか雑談して、わだかまりなく話ができる空気感を改めて作ることができたと思う。

 午後のミーティングにおいて、満足できていない残りの4割の部分、事の発端となる自分が担当している開発の方針について改めて相談し、自分の当初の提案が概ね受け入れられう結果となった。少し変更はあるものの、チームメンバー全員が納得してもらえる変更ということなので、追加の開発にストレスはない。

 精神的に負荷が高い状態からスタートした1日だったが、チームとして大きなしこりを残さず前に進むことができたのは本当によかった。そして疲れた。

 また、心配してくれた人に改めてお礼を言いたい。いろいろと悩んだりしましたが、なんとか変わらずやっていけそうです。本当にありがとう。

小樽冒険記の動画をあげたよ

 小樽に旅行に行ったあとに掲げたやることのうちのひとつ。ようやく動画としてまとめられたけどやっぱ何回かに分けへんと長過ぎて無理やわ。まずはPart1ができたので投稿しました。

 文章にするとどうしても長く詰め込みすぎてしまうので、ラジオみたいに喋ってくれる動画の形に残して置きたいというのと、あわよくばコメントとかで自分の知らない情報が出てくるといいな、という目的があった。

 あとは、六花ちゃんの使い所を探していたので、ようやく使うことができてまずは満足。CeVIO AI 自体使うのが初めてだったので、新しい動画のテンプレートを作成することがまずは大変だった。素材を探してPSDToolkit に対応させたり、そもそも全体の流れをどうしようと悩んだり、BGMをたくさん聞いてどれを使うか選んだり。今までゲーム実況動画しか作ってこなかったので、新しく気にしなければならない部分が多く、実際にセリフを打ち込みまでが長かった。六花ちゃん関連の素材がそもそもまだ少ないみたいなので、選択肢が限られていたのは逆に悩む必要がなくてよかったのかもしれない。今後もっと増えてくれると嬉しいな。

 セリフを打ち込んで少し集中力が切れたとき、六花ちゃんのExボイスってそういえばどんなのがあったけな、とおもってリストを見直したりした。車載動画やゲーム実況向けのセリフがちらほらあるが、今回自分が作ろうとしているもので活用できそうなものはだいぶ限られる。その点はちょっと残念。ただ、Exボイスの中で「好き」関連の台詞が多く、これを繰り返し聞いてると幸せな気持ちになり、さらに六花ちゃんに夢中になってる自分がいた。客観的にみるとキモいかもしれんがまぁ気にすることあらへんやろ。

 さてさて、Part1を作ったからには、続きもちゃんと作って完結させなければ。Part2は12月中には出したい。

小樽旅行の記事もよければみてね。

三島でうなぎ食べた

 仕事でむしゃくしゃしたので美味いものが食いたくなった。思いついたのが三島のうなぎ。お昼時に食べたかったので午前中のうちに電車に飛び乗る。しかし見落としていたのは週末の静岡方面に向かう列車に旅行客が多いこと。電車の移動だけでけっこう疲れてしまった。通勤もほとんどしてないことで電車に対して苦手意識が生まれ始めてる気がする。

 電車の中ではもっぱら本を読んで過ごした。今回読んでいたのは渋沢栄一の「論語と算盤」なのだけれど、もうちょい砕けた内容の本を選べばよかったな。余計に疲れた。

 うなぎを食べるというモチベーションを支えに電車移動を耐え、いくつも電車を乗り継いでようやく三島に到着。道中で調べていた三島駅近くの源氏というお食事処。お店に入って消毒用アルコールを手に広げて、席に案内されたときにうな重にすることを決めてたのですぐ注文。しばらく本を読んでると待ちに待ったうな重が運ばれてきた。あまりに美味しそうなので、写真を撮る前に箸をつけそうになった。

うな重

 美味い。めちゃくちゃ美味い。仕事の記憶を薄れさせてくれるには充分すぎる美味しさだった。半分ぐらい食べたところで、ペースが早すぎる事に気づいて、自分に少し落ち着くように言い聞かせた。もっと味わって食べないともったいない。一緒についてくる高野豆腐、お吸い物、漬物も絶品で、それぞれの味を確かめるようにゆっくり食べた。最後の一口がとても名残惜しく感じた。

 食べ終わったあと、せっかく三島まで来たので三島大社をみていくことにした。三島には縁があって何度か足を運んでいる場所。三島大社も今回で4回目になるかな。この日は七五三参りをしている家族が多く訪れており、スーツや着物姿の人たち、おめかしした子どもたちが多く見られた。ちょうど紅葉している時期でもあったので、三嶋大社と着飾った人たちがきれいな背景の中に収まる。こういう日に記念の1枚が撮れるとさぞきれいな写真を残すことができるだろうと考えていた。

 以前三嶋大社に訪れたとき、ちょうど流鏑馬をしているタイミングで、走り抜ける馬にまたがりながら的を射抜く姿を非常に近い位置からみることができ、感動した思い出がある。近い距離だからこそ感じられるあの迫力はなかなかお目にかかることができないので、今度来るときは流鏑馬をやっている時期にしよう。

職場で困る年上とのやりとり

 チーム内の人とこじれた。相手側が会話を途中でやめ、チーム内のメンバーとの会話を一方的にシャットアウトした。そのきっかけが自分とのやり取りだというのだから気が重い。明日は朝から上司との話し合いでことの詳細を確認するとのことだがどう着地するのか。

 ことの発端は、自分のコードのレビュー。自分は今のチームに10月から加わったばかりで、チームがどんな雰囲気なのか、どんなふうにプロジェクトを進めるのか様子見しているような状態だった。自分はこの半年でこれをやりますと宣言し、達成に向けて取り組むといった進め方で、自分なりのやり方で進めていたが、お願いしたコードレビューにおいて今のチームに長くいるAさんから「これまでこういう開発方針でやっていたからそれに合わせてほしい」ということを言われた。これに対し自分は「今回の自分が担当する範囲では、既存の開発方針では無駄がある。開発方針を変えないならその無駄の部分が帳消しになるようなメリットを提示してほしい」と返し、開発方針に係ることだからチームで話そうという流れになった。この話し合いで、これまでの開発方針を維持してほしいというチーム歴の長い2人(Aさん、Bさん)と、開発方針変えたほうがいいと考える自分と10月から自分と一緒に参画したもうひとり(C さん)が対立するような構図になった。

 Discord上でお互いの考えについて出し合ったが、ともに納得を得られるほどではなく、平行線になったとき、Bさんが「新しく参画した方のほうがデータプラットフォームについては経験も長い。おふたりのほうがきっといいものが作れるでしょう。自分はいないほうがいいと思うので抜けます。」と一方的に通話を切られた。こんな事前にもあったなぁと過去の苦い経験を思い出しつつ、残された人たちで「話し合いの中でそこまでBさんを追い込むような発言があったか、話していた内容は論理的に問題ないか」という確認作業が始まった。

 論理が破綻した主張をしていたわけではない、ならなぜあのような行動をBさんがとったのか。Bさんは今までこういった行動をとったことがあるかAさんに聞いてみたが、Aさんも初めてだとのこと。ただ、Cさんから「以前、今後プロジェクトをどうするかについて10月初旬にチームで話したときに、ぼくたち(自分とCさん)の意見が、これまでやってきたことを否定されているように感じたらしい」という情報が出てきた。これまで雰囲気は悪くないと感じていたが、どうもBさんの中では自分とCさんに対して思うところが以前からあったようだ。それが今回のことで爆発してしまったのではないかと皆で推測していた。

 一方的に会話をシャットアウトされたので、上司に連絡して今日のところは気分が晴れないまま仕事を終えるしかなった。夜に上司から明日の朝イチでミーティングが設定され、どのように着地できるか見通しが立たない。さらに悪いことに「おふたりなら(自分とCさん)なら、頑張れば立場的に自分(Bさん)を追い出せると思います。」といった書き込みがチームで使用しているSlackに投げられた。話し合いがヒートアップして中断しただけならまだしも、無関係な人もみれる場所でこういった発言をするのはさすがに問題だ。自分の言い方に問題があったのかなとか振り返って泣きそうな気持ちでいたが「あ、この人はダメだ」とこの書き込みがある意味自分の中では決定打となった。この書き込みに対してまず謝罪がない限り和解はない。

 同じような経験を社会人になってから2回経験していて、今回で3回目。過去の2回は、仕事の話もプライベートな話もできるほど関係は良くなっている。これは、たとえ意見が対立してもお互いに対話を繰り返すことでいい着地点が見つけられるというのを、互いの価値観を何度も確認したことによる。1人目に会話を拒絶されたとき、上司の介入と、同じチームで仕事をこなした期間が長かったこと、相手に「自分に合わない仕事をさせられたことによる鬱憤があった」という一時的な要因があったということがわかったので、関係の改善は比較的容易であった。2人目は同じチームで働く前から面識がある人で、お互いにどういったスキルセットを持っているかなどある程度知った仲ではいた。また、コミュニケーションにおいて課題があると本人が認識して改善しようとしていたので、「会話を拒絶することはチームにとってマイナスでしかないからやめてほしい」と言い続け、自分もできるだけ話を聞く姿勢を保つようにしたことで、1年ほどかけてなんとか良い距離感というのを作った。

 今回のケースだと、まず相手の思っているところを聞かないとわからないところが多いのだけれど、あんな書き込みをしてしまった以上、上司や人事が何かしら動かざるを得ないだろう。チームを移って心機一転と思っていたが、まさかこんなことになろうとは。明日のことを考えると憂鬱でしかたがない。

後日譚はこちら

高尾山に登った

 小樽から帰ってきた翌日、朝から友人と高尾山に登った。疲労が少し残る状態ではあったが、そこまで高くはない山なのでたぶん大丈夫、くらいの気軽な気持ちで挑んだ。

 8時半ごろ高尾山口駅で集合し、久々に再会する友人たちと近況など話しながら高尾山の登山口に向けて歩いていく。早朝とはいえ休日ということもあってかすでに人が多いという印象。すでに高尾山に登ったことがある友人からすると、まだ少ないほうだとのこと。これより多いとなると歩くスペースがないんじゃないか?朝早くから来ておいてよかった。

 高尾山を登るルートはいくつかあり、自分たちが登りのルートに選んだのは、より自然を堪能できそうだということから6号路から進むことにした。ケーブルカー乗り場を左側に抜けて進んでいく。舗装された道路がしばらく続き、一軒家もまだチラホラ見えてるところから、脇道に細い道がありこれが登山道となっていた。

 11月後半の朝方ではあったが、天気に恵まれたこともあり日向に出れば暖かい。山に入っていくと影も多く、沢沿いを進む道だったこともあって涼しさが心地よいと感じられる非常にいい気温だった。念のため厚手の上着も持ってきていたが、今日はかばんの中で雨具とともに出番なく終わるだろう。

 暫く進むと岩屋大師という祠のような横穴が見えてくる。この場所について後で調べてみたが、弘法大師(空海)が修行したとか病の人を助けたとかいろいろ出てきて真相はわからなかったが、高尾山にいくつかあるパワースポットのひとつとのこと。なんでもいいのでご利益ください。

 岩屋大師をあとにして少し進むと、今度は分岐した道の先にお堂のような建物が見え、更にその奥には琵琶滝をみることができる。時期によっては滝行をすることができるんだとか。

奥に見えるのが琵琶滝

 琵琶滝のあとしばらくは山道をひたすら登るのみ。途中にベンチが置いてあるスペースもあり、適宜休憩や軽食をつまみつつ、大木の根っこがあらわになって凸凹した足場や、水を含んでぬかるんでいる足場を超えて、一歩一歩確実に登ってゆく。アスレチックに挑んでいるような感覚でとても楽しい。紅葉し始めている木とまだ青々としている木が入り混じったような景色に囲まれ、進むごとに変わりゆくその景色が疲労を忘れさせてくれているようだった。写真を撮ろうとして少し足を滑らせるという場面もあった。写真を取るときはちゃんと立ち止まってから撮ろう。

 8割ほど進んだ頃だろうか、足場が真新しい木製の階段になった。これまで凸凹した斜面だった足場が一様に平坦な足場となり、山を登っているという感覚が薄れてしまった。しかもこの階段が長い。職場のオフィスの階段を登っているようで、自然一色だった雰囲気から急に人工的な要素が差し込まれたことに戸惑い、疲労を感じやすくなっていた。

 階段ゾーンを登りきり、頂上に近づくにつれて、複数の登山道が合流し人も増えてくる。人だかりも見えてきて頂上らしき場所が視界にはいってきた。最後の坂を登りきり、無事に頂上に到着!頂上の木々は多くが紅葉しており、登る途中で見た木々に比べて色濃くなっているものが多かった。いいタイミングに来れたなと実感できた。山頂を示すモニュメントには、写真撮影のための長蛇の列ができていた。これを待つぐらいなら少し離れたところからとったらいいかととったのが下の写真。

 頂上には広く渡せる展望台があり、晴天に恵まれたことで富士山もきれいに見ることができた。

 頂上には軽食も売っており、自分は物珍しさから味噌田楽こんにゃくを頼んでかぶりついていた。お腹が空いていたことや山の頂上という相乗効果もありめちゃくちゃ美味しかった。頂上にある施設の中では展示スペースがあり、高尾山周辺の自然について知ることができる。しかしながら友人との話題の多くは、高尾山までの別の登山道についての話で、陣場山から5,6時間かけていくつかの山を経由して高尾山まで来るルートのこととか話していた。さすがにそのルートはもっと体調を万全にした状態でないと難しいやろうな。

 山頂も満喫したので下山し始める。今度は1号路を通っていくのだが、この1号路を通って上がってくる人が多いため、すれ違う人がめっさ多い。というか登りの列が長すぎる。紅葉シーズンでお昼時、1号路はさまざまな観光スポットもあるため、この時間帯に登る人たちはほとんど渋滞を進むような状態となっていた。それを横目に自分たちはスイスイと下りていく。1号路を登る場合は早朝に来るか、シーズンを避けてこないと自分のペースで登るということは難しそうだ。

 1号路はほとんど舗装された道となっており、凸凹したような足場はほとんどない。また、薬王院がある辺りは石造りの階段が続いていたりもする。薬王院は下りだと本社が先に見え、更に下りたところに本堂がある。本堂のところで多くの観光客が手を合わせており、出店もいくつかならんでいた。体を動かしているからかお腹がすぐに空いてしまい、出店の焼団子を頬張ってお腹を満たしていた。景色のいいところで食べる団子は格別。団子は他の場所でも売っており、場所によって味付けが違うので、今度来るときは食べ比べてみようかなとか考えてた。

薬王院本社
薬王院本堂

 杉並木を通り、ゆるいスロープを降りていき、ビアガーデンの整理券街の列とかを眺めつつ、色んな場所の紅葉を写真に収めていく。1号路の下の方にある木々のほうが広範囲に紅葉しているような気もする。金比羅台を超えたあたりからはかなり急なアスファルトの斜面で、ブレーキをかけるために下半身に力が入るのだが、衝撃がひだなどを傷めないか心配になった。1号路を登ってこようとすると序盤にこんな急な坂道を登るのかと考えると、1号路で登るという選択肢はないな。それに舗装されていることもあって登山しているという感覚が薄れてしまうと思う。

 坂を下りきって無事に高尾山から下山。時間は13時頃だったので、だいたい4時間半ほどの道のり。登りは自然の中を通っている感じがあって楽しかったけど、下りは紅葉がとても綺麗ではあったものの人の多さや舗装された急斜面ですこし気分が乗り切れないところはあったかな。このとき一緒に登った友人から、登山中にヤマノススメというアニメで高尾山がでてたよと教えてもらったので後日みてみたら、1号路から登って6号路からおりていたので、ちょうど反対の順路を通ったことになる。自分が登ったときは6号路は登り専用だったため降りれないが、あの山道を下るほうが怖そうだなと感じた。濡れていたりもするのでより滑りそう。

 そして登山が終わったあとはみんなで飲み会。久々に会うメンバーでみんなテイルズオブシリーズを通して知り合った間柄ということもあり、さらにはちょうどこの日にイベントもあったので、話題の多くはテイルズ関連のものとなった。新作のアライズはどうだったとか、イベントではなにか新しい情報は出るだろうかなど、とても話が弾んだ。普段はあまりお酒を飲まないが、昼間から飲んだくれてもたまにはええやろ。

 帰ったら足が棒になってた。動けん。なにもできん。まぁそれでも予定を詰め込んだかいはあったな。こんなふうに直接会ってみんなで楽しいことをして、お酒を飲んでたくさん話してということをこれからもっとしていきたい。

小樽冒険記 Part6「見どころが尽きない」

こちらの記事は前回の記事の続きになります。

 小樽に来て3日目、もう最終日。2日目までなかなか無茶なスケジュールだったので、3日目の活動開始は8時ぐらいからで少しゆったりしてた。最後のスタンプラリーがある場所、小樽ビール小樽倉庫No.1があくのは11時頃なので、それまでどうしようかなとガイドを眺めたりしていると、LeTAO本店のカフェが9時から開いているというのがわかったので、手早くチェックアウトの準備をして荷物を抱えてまずはCOTARUに自転車をかりに行くことに。COTARUでは荷物も預けられるのでコインロッカー代わりにも使えて超便利。LeTAO本店に向かう前に、サンモール1番街にあるポケふたの写真をおさめにいった。目的地についたとき、ポケふた近くにトラックがとめてあったため、正面からの写真を取ることはできなかったのが少し残念。ポケモンサン・ムーンは履修済みだったので、アローラロコンは知っていた。背景のステンドグラスのような模様はステンドグラス美術館が小樽にあるからだろうか?とてもきれいな模様とロコンの可愛さが調和している。これだけ特別なマンホールだと踏んだりするだけでも周りから反感かいそうとか考えてた。

 スタンプラリーでも立ち寄った堺町通り商店街を通り抜け、LeTAO本店に到着。入り口で販売員のお姉さんから試食のチョコを貰いながら、自転車を脇に止めて入店。1階がお土産屋となっており、カフェが2階にある。平日の午前中ということもあってかお客はまばら。LeTAO本店限定で季節限定の焼き芋ドゥーブルとかぼちゃのケーキセットをコーヒーとともに注文した。限定といわれたら注文したくなるのは人の性。焼き芋とかぼちゃのやさしい甘みのつまったケーキを堪能し、コーヒーを飲みながらゆったりと次の目的地を探す。

次の目的地として選んだのは、小樽北運河の石造りの倉庫。ここは渋沢栄一の縁の地であり、新しい一万円札にも描かれる予定となっているので、実物をこの機会に見ておきたいと思った。目的地までの道のりは、小樽運河にそって石造りの道を進むことになったのだが、これがなかなか凸凹しており疲れの残る下半身には度重なる振動がこたえた。自転車もだめにならないだろうかと心配しつつ、目的地近くに来たところで野生のリスを見かけた。こんなところにリスがいるのかと驚き、写真を撮ろうとしたがリスは早々に逃げてしまい写真を撮らせてはくれなかった。似た風景が続き目的の建物がなかなか見つけられない。来た道を折り返して再度探してみると見つけることができた。運河を挟んで奥にある建物ばかりをみていたのだが、目的の建物は運河を背にした状態で見つけることができるもので、自分は反対側を常に探していたので見つからないという状況だった。おそらく1万円札にはこんな向きで載るのだろうと予想しながら写真におさめる。新しい一万円札を手にしたときに見比べるという楽しみができた。

 午前11時、様々な施設がオープンし始める時間。最後のスタンプがある小樽ビール小樽倉庫No.1に向かう途中の道に小樽市総合博物館運河館があるので、先にこちらに向かう。ここの入場に必要なチケットは、前日に訪れた総合博物館で一緒に購入しており有効期限が2日間とあったので日を分けて訪れるようにしていた。総合博物館の方では、小樽の鉄道を中心とした発展の歴史に関する資料が多いのに対して、運河館の方では北前船や鰊漁による繁栄までの変遷がよみとける資料、昆虫や動植物といった自然についての資料、小樽市西部にある忍路土場遺跡から発掘された縄文時代の資料といったものがみることができる。カブトムシがもともとは北海道に生息していなかったというのは個人的に驚いた発見だった。館内には当時の商家を再現した空間があり、そこには当時のオルガンが誰でも弾いてよいという状態で公開されていた。有名なYouTuberがこのオルガンで演奏とかすればちょっとしたイベントができそうとか考えてた。

運河倉庫の模型
総合博物館運河館は運河倉庫の一部を利用している
運河倉庫内の広場
屋根には鯱があつらえられている

 資料を眺める中で「オタモイ海岸」に関する資料が目に止まった。前日のおたる水族館に訪れるた際に、水族館からさらに登った先で見つけた小道が「オタモイ線歩道」と書かれていたことを思い出し、オタモイ海岸に続く道だったのかと改めて考えていた。この歩道がいったい何なのか気になったので、館内のスタッフの方に伺うと館長らしき偉い方に聞くのが良かろうとのことで、偉い方がわざわざ時間をとって丁寧に説明してくれた。Part3の投稿にも書いたとおり、定期的な自然の観察・調査の実施ルートで、登山道としても開放されてはいるが、ちゃんと準備をしないと危ない道。危険な動物などはいないので、景色を楽しむために観光する人もたまにいるらしい。

 一通り内部を見て回ったので、説明してくださった方や案内してくださった方にお礼を言いつつ外に出る。自転車がたまに盗まるという話を館の方から聞いたので少し心配していたが、今回は盗人のターゲットにはならなかったらしい。少し天気が曇り始め、いつ雨が降ってもおかしくないといった状況になってきたので急いで小樽ビール小樽倉庫No.1に向かった。

 総合博物館運河館から小樽ビール小樽倉庫No.1まではそれほど距離はなく、石畳の道を少し進んだところにあった。外観は歴史ある倉庫といった様子だが、中に入ると天井が高い大きく広けた空間に、中心にはビール製造関連の機材と思わる大きな危機が鎮座し、その周りを囲むように多くのテーブルと椅子が整然と並べられ、更にその周りにお酒の瓶やビール製造関連の機器がガラス越しに並んでいるのが見える。まだ開店間もない時間帯ということもあり、お客の姿は見えないが、人が集まったときはさぞ賑やかなのだろうと想像できた。自転車に乗って移動しているため、ビールを飲むことはできないが、ソフトドリンクを頼んで少しでも雰囲気に浸ろうと待っていると、見た目がほぼビールのアップルソーダが運ばれてきた。口をつけるのをためらうほどのビールっぽい見た目ではあったが、飲んでみるとちゃんとアップルソーダだった。美味い。広く綺麗な内装や美味しいジュースに満足して本来の目的を忘れそうになっていたが、お会計のレジの横においてあるスタンプを見つけてなんとか思い出すことができた。お店を出る前にスタンプと缶バッチを手に入れ、これにてようやくスタンプラリーを完遂させることができた。

ビールにしか見えないアップルソーダ
最後のスタンプ

 スタンプラリーも終わり、自転車の返却まであと1時間しかない。最後に自転車で向かったのは小樽芸術村にあるステンドグラス美術館。ここの内部も外観からは想像できない広い空間があり、大きなステンドグラスが数多く展示されていた。これまでは小樽に関連するものばかりをみてきたが、ここに並んでいるものはほとんどが海外から集めたものであり、ステンドグラスに描かれている内容は聖書に基づくものばかりだった。この日は少し曇りがかった天気だったこともあり、ステンドグラスから差し込む光はさほど強くないのだが、それでもひとつひとつのステンドグラスから暗がりの空間に差し込む光は神秘的で荘厳な雰囲気を醸し出していた。思っていた以上に展示されているステンドグラスの数が多く、内容の解説も充実していたため、1時間ではじっくりみたり読んだりすることができず、後半は流し見のようになってしまったのがもったいなかった。次に来るときは聖書について改めて読み直して、充分に時間に余裕を持ってこなければ。

 自転車のレンタル時間いっぱいまで乗り回し、行きたいなと思っていたところはすべて回り、その場の思いつきで更に足を伸ばしたところも多かった。小樽には自分の知的好奇心を満たすたくさんの見どころがあるのだと知ることができた。疲労を忘れるほど楽しい小樽に、お別れを告げなければならない時間になった。荷物を抱えて小樽駅のホームの前で、次の電車の時間を確認。少し時間があったのでバス停から伸びる歩道橋の階段から駅の写真を撮った。バス停の屋根を突き破るように伸びた階段が印象的だった。朝の天気予報ではこの時間すでに雨が降っているといっていたが、なんとか曇りで耐えてくれていた。午後から翌日にかけて天候は崩れ、更に雪が降ったとのことなので、自分は晴れ男なのだろう。次に小樽に来るときも、晴れた天気のもとで自転車を乗り回して、今回巡ったところとまだ行けていないところを体力の限界に挑みながらまわりたい。いつ来られるかわからんが、また会う日まで。小樽最高!

 家に帰るまでが旅行ということで、新千歳空港でのことも書いておく。空港についてまずは腹ごしらえということでお寿司を食べた。おすすめ握りに加えて、今回の旅行で印象に残っていた鰊の握りを追加で頼んで堪能した。葱と生姜がけっこう盛られていたが、それに負けない鰊の旨味がたまらない。まぁこの鰊は小樽ではなく根室でとれたものなんやけど気にしない。

おすすめ握りと干瓢巻
鰊の握り

 早めに新千歳空港に到着したこともあり、空港で2時間ほど見て回る時間があった。ちょうど初音ミクのイベントもやっており無料でギャラリーが見れたので見て回った。等身大のフィギュアがおいてあり、思ってたより大きく髪の長さが更に長く感じられた。空港は広く、お土産屋や飲食店などだけではなく飛行機に関する資料を見るスペースもあったが、足の疲労感が重くのしかかり見て回る余裕はなかった。疲れを回復させているためかすぐに空腹を感じるので、カフェに入ってチーズケーキを食べつつのんびりゴールデンカムイを読んでた。27巻も出てたので帰りの移動中に読むには十分すぎる量だ。天候の悪化もあり、飛行機は1時間ほど遅れて空港をでた。遅れたことでお腹も空いてきていたので、飛行機内で食べるお弁当も買ってあった。この日は常にお腹が空いていた気がする。

 飛行機から降り、電車に揺られ、家について落ち着いたときには23時を超えていた。自分のツイートや写真を見返したり、Twitterで小春六花の公式アカウントからリプライもらったり、小樽で手に入れた品々を眺めたり、まだ小樽旅行をしているような気分に浸っていた。満足感、充足感にあふれるのと同時に、終わってしまったなぁという寂しさも疲労感とともに湧き始め、翌日の予定のために準備をしないといけないのだが、なかなか体を動かすことができなかった。

 本当に楽しかった、また行きたい。こんなふうに思える旅行は貴重だ。スタンプラリーを11月中に完遂し、おたる水族館が開いている日程を考えると、今回の旅行の日程しか都合がつかず、かなり突発的で仕事も数日休んだが、本当に行ってよかった。直前に小樽ビール小樽倉庫No.1が臨時休業するという知らせを聞いたときは肝を冷やしたが、最終日に訪問できるということがわり安堵したということもあった。現地に足を伸ばして実際に見聞きして知見を広げ、行った先の歴史や建造物を近くで見て感じて、現地ならではの食べ物も堪能する。旅の醍醐味を全力で味わえた3日間でした。きっかけを作ってくれた小樽スタンプラリーの関係者の皆さんには感謝してもしきれません。今度はスタンプラリーとは関係なく、小樽そのものを主目的に堪能しに行きます。

記念の品の数々

 非常に長くなりましたが、これにて小樽冒険記は幕引きとなります。ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。

小樽冒険記 Part1「小樽スタンプラリー(最初にして最大の難所は地獄坂)」
小樽冒険記 Part2「小樽スタンプラリーを忘れるほど見どころが多い」
小樽冒険記 Part3 「六花ちゃんに怒られたい」
小樽冒険記 Part4 「おたる水族館は広い」
小樽冒険記 Part5「鰊御殿・博物館・BarV」
小樽冒険記 Part6「見どころが尽きない」